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【bayfm78】ビートルズから始まる。3【小林克也】

1 :ホワイトアルバムさん:2008/06/15(日) 19:34:45 ID:oxsmqGgN0
bayFM 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/

2 :ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:35:54 ID:???0
前スレからの続き
□リクエスト
  ・時々聞いています たまたま聞いていたら、大好きなシカゴの「サタデー〜」が流れたではありませんか
   私が高校生の頃のヒットでしょうか 出だしのピアノのリズムがだいすき! それにサックスの響きもいいですよね
   小林さんの話で「メンバーが今でもブラスの練習が大変」というのを聞いてすごいなあと思いました
   この曲は中学生の頃、友達がピアノで弾いたのに衝撃を受けました レコードを友達がプレゼントしてくれました(成田市/女性/50歳)
    〜 The Beatles / Lady Madonna
     (小林)(「時々聞いています」に)正直で良いです!

  ・初めまして 北九州から単身赴任して当番組を楽しく拝聴させていただいております
   ビートルズを聴いて35年、兄貴に影響を受け、懐かしい曲一つ一つに、当時カセット 黒のプレー赤の録音ボタンを同時に押して
   時々間違ったけどビートルズ特集テープを作ったのを思い出します 人生の中で本当に助けられた曲です
   これからも楽しい番組をよろしくお願いします(船橋市/男性)
    〜 The Beatles / Across The Universe (Naked)
     (小林)ちょっとジョンの歌声が違うでしょ 後になって出てきた「Naked」の中からお送りしました
        ジョンの声がこっちの方が優しく聞こえるんだよね

3 :ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:39:44 ID:???0
  ・私が社会人になりたての1980年、ポールが日本に来ることになりました ビートルズはリアルタイムで聞いていましたので
   来日の知らせを聞いた私はチケットを手に入れるだけの目的で東京に出てきました 入手したチケットを眺めながら
   楽しみにしていたんですが、ご存知の通り公演は中止になり、ニュースを突きつけられた日はやけ酒を飲んだのを覚えています
   後に、東京ドームでポールに会うことが出来ましたが80年の武道館で若かった彼の姿を見てみたかった
   無念さに変わりはありませんでした リクエストはAMラジオのベストテン番組で聞き、ビートルズを知るきっかけになった
   ポールのバラードをお願いします(宇都宮市/男性)
    〜 Paul McCartney & Wings / My Love

  ・いつもたのしくビートルズについて学んでいます ビートルズを知ったのはカーペンターズを知った後なんですが
   どちらも「Ticket〜」を歌ってますが、前回はビートルズを聴いたので(千葉市花見川区/女性)
    〜 Carpenters / Ticket to Ride
     (小林)ビートルズのロックをロックじゃないバージョンで、これこそ本当のオリジナルをそっくりやるってんじゃなくて
        自分たちの解釈で自分たちらしさを出すっていう見事なカバーであります

4 :ポール・キロックトニー:2008/06/15(日) 19:42:37 ID:???0
(小林)ブリジッド・バルドーにジョンが会いに行って、食事に誘われるわけですが、「どうぞ食事に行ってきてください
   その間にあなたに1曲書いておきますから」とジョンは約束したよね さあ、この後は
   ここらへんはね、ちょっとしたコメディーですよね まあ、後になって笑っちゃうと思います

5 :UNDERWATER SUNLIGHT最強のzeit:2008/06/16(月) 00:10:55 ID:???0
あえて残酷な言い方をするならば、この作品はどう転んでも
MF文庫の最高傑作にはなり得ない。誰がなんと言おうと
MF文庫の全盛期は85-00期だし、もはや当時のあり得ないほどの普遍性は、
彼女の才能が渇水したとかそういう問題ではなく、誰がどうやったって
もう二度とほじくり出すことのできないものだと思っている。
だからといって、全盛期はとっくの昔に過ぎ去ったし、これで10作目だし、
もう好き勝手やっちゃってください、というわけには絶対にいかない。
MF文庫が僕達に教えてくれたこと。それは、蜂蜜のように
甘く粘着質な独特の歌声・唱法であり、現実性の欠落した
ドリーミーな作風の持つ無限の包容力であり、つまりはMF文庫という
「世界」だった。今年の2月に発表された現時点での彼女の
最新作であるこの作品は、ラノベラーメンの多様という
ドラスティックな変化で音楽の振れ幅を大きく広げた意欲作だ。

6 :ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 08:35:11 ID:???0
この人、今何歳?

7 :ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 09:05:16 ID:???0
>>6
どの人?

8 :ホワイトアルバムさん:2008/06/21(土) 09:59:26 ID:???0
>>7
小林だよ

9 :ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:39:03 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年6月22日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月22日)
  ・1957年 (51年前)
    とても大切なことですよ、ジョンが人の前で自分のグループで初めて演奏した日なんです
    こんなこと、古いことなんて、若い人は思うかもしれないけど、分かりやすく言うと
    1957年というとプレスリーの全盛の頃です プレスリーが出てきたのが1956年
    ジョンは地元リバプールのエンパイアデーという、昔の王様を祝う祭の一部に参加するわけですね
    ジョンのバンドは「クォーリーメン」っていいます で、トラックの荷台の上で演奏して
    お金はもらえなかったらしいんだけど、ジョンはすごく自信たっぷりに女の子の観客にウインクをしたりした
    ってことが伝わっていますが、彼らが演奏した音楽は、まだロックンロールのちょっと前の状態
    ロックに似ていますが、今聞きますと「古いロックじゃん、なーんだ」という感じなんですけど
    楽器がね、ジョンのクォーリーメンの楽器が、まず昔の幼なじみのピート・ショットン、ドラムスをやる人ですが
    ウォッシュボードをやっていた、ウォッシュボードは直訳すると洗濯板
    洗濯板って分かりますかね、ギザギザが着いていて、それを手でやったり、箸でやったりすると
    音が出るんだよね それからベースがティーチェストベース、茶箱ベース
    茶箱が共鳴するんで、そこに弦を張ってやってたという、とても原始的な楽器を使ってやってたんですね

10 :ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:39:45 ID:???0
    こういった音楽はスティッフルと呼ばれたんです だからビートルズをやる前は、ジョンは
    スティッフルバンドをやっていた そのバンドがお祭りに出たのが51年前の今日ということですね
    で、翌1958年の春から夏にかけてのある日、この頃はジョンとポール、ジョージが知り合っています
    で、俺たちはグループをやんなきゃというわけで、街のお金を払ったら録音してくれる所があるわけですね
    そこで、自分たちの音楽を録音してもらいます まだ自分たちは曲を作ってないんで
    バディ・ホリーという有名なロックアーチストの曲をカバーしてるんです
    アンソロジーに入ってるんですが、改めて50年前の彼らの初めての録音を聞いてみましょう
    〜 The Beatles / That'll Be the Day

    かわいいよね、ポールやジョージは高校生だよ、この頃
    マイクは一つで録音したんだね 正確に言うと、ビートルズじゃなくて、ジョン・レノンのクォーリーメンになります


11 :ポール・キロックトニー:2008/06/22(日) 23:57:52 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年初夏、インドから帰って自由気侭な生活をしていたジョンに電話がかかった
   電話の向こうの声は、ビートルズの会社アップルの広報部長、軟派で有名なデレク・テーラー
   「おい、ジョン 起きてるか 今、あのブリジッド・バルドーがロンドンに来て、ビートルズに会いたいって
   言ってるんだ だけど今メンバーの中で、君以外の人間はロンドンにいないんだよ ジョン、君に一人で行って
   もらうしかないんだ」 あまりの急な事件に、ジョンは怖じ気づいた そして、きつけにもいつもの薬を一服
   バルドー御一行の滞在するホテルにつくまでに、すっかり酩酊状態になってしまったジョンは
   スイートルームに通されると、あぐらをかいて瞑想に入った 声をかけても何時間待ってもぴくりとも動かない
   この奇妙な男に対し、すっかりしびれを切らしてしまったブリジッド・バルドーは、レストランに誘った
   これ以上、こんな状態でいたくなかったのである するとジョンは答えた
   「どうぞ、あなたのお友達と食事を楽しんできてください その間にあなたのために一曲作っておくことを
   約束します」 あきれかえったブリジッド・バルドーには、これ以上返す言葉がなかった
   彼女はほとんどが取り巻きの女性ばかりというグループを率いて食事に出かけてしまった
   その夜バルドーが帰ってみると、そのかなり手前までインドのシタール音楽が流れていた
   スイートルームに一歩足を踏み入れた瞬間、彼女は立ちすくんだ
   まるで、歩道に寝ころぶホームレスのように、クッションの上に伸びている男がいる
   周りには空になったビール瓶がゴロゴロと散乱している そこに伸びている男、それはもちろんジョン・レノンであった
    〜 The Beatles / Because
    〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
     (小林)ポールが得意とする、ジョンには全くない世界だよね 底抜けに明るい、ちょっとナンセンスな有名な曲
        その前は「ビコーズ」これを改めて聞くと、ビートルズには他のロックにはない、コーラスの腕があった
        というのも分かりますね

12 :ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 00:17:13 ID:???0
  ・1950年代からセックスの女王として一世を風靡していたフランスの大人気女優ブリジッド・バルドーの招きで
   ホテルに赴いたジョン・レノン しかし、よりによってジョンを行かせたのが間違いだった
   完全に酩酊状態になった上に、バルドーとはほとんど言葉も交わさず、瞑想に陥る始末で
   あげくの果てにはその部屋で酔いつぶれてしまったのである そればかりではない バルドーは寝室に入って
   さらに悲鳴を上げた 彼女が使っているベッドには、彼の付き添いでやってきたアップルの広報部長デレク・テーラー
   までがべろんべろんの状態で倒れ込んでいたのである 完全に頭にきてしまったバルドーは、再び客間に戻って
   ジョンを揺り起こそうとした ジョンは何度も起き上がろうとし、何か口ずさんでいたが、二・三回試みたあげく
   またねむり込んでしまった 結局バルドーはその夜別の部屋を用意させ、そこで休むことになった 散々である
   翌朝早く迎えにきたアップルのスタッフ、レス・アンソニーに連れられ、ジョンはケンウッドの自宅に戻った
   自分だけ、留守番役で退屈していた学生時代からの悪友ピート・ショットンは、その一部始終を聞きたがった
   「なに、それでさ、その後どうなったのさ 早く教えろよ、ジョン」ピートは矢継ぎ早に質問を浴びせかけた
   するとジョンは幼なじみを睨みつけて怒鳴った 「何にもねえよ! 何も想像するようなことは起こらなかった
   最悪の夜だよ、まったく エルビスと会った時以上かな」 この、ブリジッド・バルドーとのあまりの馬鹿げた会見と
   似たような事件を、ドラッグに依存していたこの頃のジョンは、いくつも起こしていた
   このバルドー事件の二日後、ジョンとピートはやはり酩酊状態だった ジョンはテープレコーダーを使って
   家の中のありとあらゆる音を録音していた このテープは後にホワイトアルバムに収録される「レボリューション9」
   の原型となるものであった しばらくするとこの仕事に飽きたジョンは、床にあぐらをかくと、ピートを腹を割って
   話し始めた ピートはまた何か始まる予感がしたのである
    〜 The Beatles / Maggie Mae
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun - The Inner Light (Love)

13 :ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 00:35:17 ID:???0
  ・インドから帰ったジョン・レノンは、つかの間の独身生活を楽しんでいた
   妻のシンシアは、ギリシャ旅行に出かけていて留守だったのである とはいえ、孤独が最も苦手なジョン
   すぐさま学生時代からの悪友、クォーリーメンのメンバーだったピート・ショットンをリバプールから呼び寄せた
   ピートは、暇つぶしにはもってこいのキャラクターを持った、愉快な男である ジョンはピートを自分たちの会社
   アップルの社員にして雇うことにした 会社の重役であるジョンには、そのぐらいの人事権はあった
   ポールだって、自分の女を広報部に入れてしまったぐらいである そんな気ままな独身生活のある日
   ジョンは仕事にも飽き、ピートと腹を割って話し始めた インドでマハリシに幻滅を感じたことを一通り話すと
   いつものジョンの得意技、瞑想の世界に入ってしまった ピートはその部屋にあったブリジッド・バルドーの
   大きな写真を見つめ「ああ、もし俺がジョンだったら、バルドーと食事に行ったのになー」などと空想の世界に
   入り込んでいた と、その時、隣のジョンが両腕をゆっくりと鳥の翼のようにまわしているのが目に入った
   ジョンは威厳に満ちた押し殺したような声を出したのである 「ピート、ぼくはイエス・キリストだ」
   ピートもジョンと付き合いが長い 別段驚きもせず、当然のように聞き返した
   「だから、どうしようっていうんだい?」 間髪を置かず、ジョンは答えた
   「みんなに、このことを告げなければならない 世界中に私の正体を告げなければならない」
   さすが、ピートも困ってしまった 「ジョン、そんなことををしたって、こてんぱんにやられるのがオチさ
   そんなこと、誰も信じるわけないって」 少し考えて、ジョンが聞いた 「なあ、イエスが殺されたのって
   いくつのときだったっけ?」 ピートは答えた 「たしか、32のときかな」 酩酊状態のジョンは指折り数えてこう言った
   「え? じゃあ、俺の命、後たったの4年しかないぞ」
    〜 The Beatles / The Ballad of John and Yoko
    〜 The Beatles / Let it Be (Naked)

14 :ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 01:02:02 ID:???0
□リクエスト
  ・小学校高学年の頃からこの番組を聞き始めて、今ではもう高校生です
   さて、もうすぐ父の日です そして、父の誕生日ももうすぐなので、ビートルズを聴くきっかけを作ってくれた
   父に感謝の気持ちを込めて、そのきっかけとなった曲「イエロー・サブマリン」をリクエストしたいと思います
   克也さん、全国のおとうさん、体に気をつけてこれからもお仕事頑張ってください(筑西市/男性)
    〜 The Beatles / Yellow Submarine
     (小林)気を使っていただいてありがとうございます

  ・前日、ボブ・ディランの伝記映画「I'm Not There」を見てきました 内容はわけが分からない感じで
   まさにボブ・ディラン しかしながら、六人の俳優が演じるボブ・ディランは、とても個性的でした
   中でも女優ケイト・ブランシェット演じるロックスター時代のディランは中性的で毒のある感じがとても格好よかったです
   リクエストは映画のサントラに収録されている「やせっぽっちのバラッド」をお願いします
   P.S.ディランとビートルズがたわむれる場面があり、嬉しくなってしまいました(船橋市/男性/21歳)
    〜 Stephen Malkmus & The Million Dollar Bashers / Ballad Of A Thin Man
     (小林)50年代とか60年代の時代に興味がある方は、ディランの伝記を読んでみることをオススメします

  ・サザンの解散のニュース、どう思われますか? このニュースを聞いて克也さんが桑田さんと一緒にやっていた
   ナンバーワン・バンドの歌を聞きたくなりました(船橋市/男性)
    〜 ザ・ナンバーワン・バンド / 六本木のベンちゃん
     (小林)サザンは1976年からずっとやってるから、30年以上もやってるわけですけど
        まあ、あの、どれだけ音楽を聴いてるか、どれだけ愛してるか、みんな意見が違うと思いますが
        ぼくの個人的な意見はね、radiobaka.comの方に書いておりますので、良かったら
        ベンちゃんって、ベンチャーズのことだよ

15 :ポール・キロックトニー:2008/06/23(月) 01:04:17 ID:???0
(小林)ジョンはね、この頃は引きこもってる時代なんですよ ジョンらしい、色んなエピソードがありますが
   そう行ったものもお伝えしていこうと まあ、包み隠さず、もっともっとジョンがそしてビートルズが
   好きになって欲しいと思います


16 :ホワイトアルバムさん:2008/06/24(火) 00:24:56 ID:djNx88JX0
克也最高

17 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:11:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年6月29日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(6月29日)
  ・1964年 (44年前)
    彼らはオーストラリアに行ってます そしてこの日は、明け方というか零時過ぎですね
    チャーター機でシドニーからブリスベンに到着して、空港では既に八千人のファンが待ち受けていて
    ファンが大変だから、ビートルズはトラックの荷台に隠れて空港を脱出して、ホテルに着いて
    明け方からお昼まで寝て、その日昼夜午後と二回コンサートをやって、えーーーーー
    で、このコンサートが面白いのはね、アンチ・ビートルズの連中がいて、ビートルズに
    トマトだとか卵だとか、他の野菜なんか投げちゃうんです 「Eggs and vegetables」なんて書いてありますが
    これをビートルズに向かって、投げる連中がいたんです これはね、空港にもいたらしいんですけど
    コンサートにもいて、コンサートでビートルズに向かって卵なんか投げるわけですよね
    だけど、アンチ・ビートルズは多勢に無勢 ファンが圧倒的に多いわけですから
    ファンがアンチ・ビートルズに襲撃し始めて、ぶん殴ったりし始めた
    警察が一応、警護のためにいるわけですが、その警察がですね、ビートルズファンがアンチ・ビートルズの
    リンチを避けるために一生懸命だった ちょっと独特ですね オーストラリアでも大騒ぎがあったという話ですが
    この頃のビートルズのコンサートの定番ソングを行きましょうか
    〜 The Beatles / All My Loving

18 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:26:52 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年初夏 ── ジョンの奇行はとどまる所を知らなかった
   その中でも最も大きなものは、フランスの大人気女優ブリジッド・バルドーの招待を受けておきながら
   ホテルの部屋で何時間も瞑想にふけったあげく、大量のビールで酔いつぶれてしまったという事件
   そして、さらにジョンの奇行は続いた
   孤独を嫌うジョンがリバプールから呼び寄せた悪友ピート・ショットンとつるんでいたある夜
   ジョンは突然「自分は、イエス・キリストである」と言い出した
   もちろん、ピートは唖然とした
   ジョンは宣言した 「明日まず、自分がイエス・キリストであるということをアップルの仲間に話すぞ」
   一晩中、ドラッグで酩酊状態だったジョンとピートは、そのままぐったりとして、着替えもせず
   ベッドにも行かず、その場所 ── そこの床でねむってしまった
   目を覚ますと、家政婦のトッド・ジャネットが、上から二人を見下ろしている
   恥ずかしい所を見られた ジョンはあわてて立ち上がった
   「俺たち、別にデキてるとか、そういうんじゃないから なあ、ピート」
   「当たり前だよ もし、そうだとしたら、何でこんなきっちり服を着てるんだよ」
   もちろん、誰もそういうことは想像していなかった 気を取り戻すと、ジョンがあわててアップルオフィス
   に行く支度を始めた その日の午後、アップルのジョンの部屋で、ビートルズの内輪だけの会議が開かれた
   出席者は、ポール、ジョージ、リンゴ、そしてアップルの重役であるニール・アスピナルと
   広報部長のデレク・テーラー、そしてジョンと、なぜかピート・ショットンまでついてきた
   会議とかそういうことに関してはいつも受け身側のジョンが招集をかけるとは
   全員不思議な気分で集まってる中ジョンが口火を切った
   「大事な話がある 実は僕は、イエス・キリストの再来なのだ それが僕の正体なんだ」
    〜 The Beatles / It Won't Be Long
    〜 The Beatles / Good Day Sunshine
     (小林)さあー、ジョン・レノンが大変ことを言い出したぞー 「俺はキリストだー!」

19 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:47:20 ID:???0
  ・「僕は、イエス・キリストの再来なんだ」
   このジョンの突然の表明に、ビートルズのメンバーも、アップル社の重役も唖然とした
   ジョンは顔色一つ変えずに、アップル社に対し「ジョン・レノンはキリストの再来である」と発表するために
   発表用の資料を作成するように頼んだ 同じ場に居合わせた誰もが、この発言に疑問を持った
   当たり前である しかし、別の意味では、誰一人として疑問など持たなかったともいえる
   なぜならばそれは、ジョン・レノンの発言だったから
   最も親しい友人達だったからこそ、ジョンという人間を良く理解し、また恐れおののいている部分も有ったのである
   すぐにジョンのこの発言は、重大発表であるという点で皆一致した だが、その意味をもう一度じっくり考えて
   アップル社として、どう対処したら良いか判断するには、もう少し時間が必要である ── ということで
   全員がジョンを諭した こうして、この日の会議は早々に解散となった
   この夜、ビートルズ全員でレストランに行った時にも、またジョンの妄想はまだまだ解けていなかった
   隣の席の愛想の良さそうな中年男性がビートルズを見つけて声をかけてきた
   「お食事中、失礼 みなさん、ご機嫌いかがでしょうか お目にかかれて、光栄です」
   すると、ジョンが即座に答えた
   「本当は、私イエス・キリストです」
   それに動ぜず、男性は言った
   「え、あの、それは本当ですか ところで、私、あなた達の最新レコード『サージャント〜』ですが
    あれ、とても気に入りました 素晴らしかったですよ」
   お互い、話しが全くかみ合っていない
   その夜、ケンウッドの自宅に帰ると、ジョンとピートは、まず一服キメた
   二人の酩酊ぶりは、日増しにひどいものになっていった
   ジョンが落ち着かない様子を見せ始めた こうなると長丁場 ジョンは、朝まで酩酊状態を続けるのが常である
   ジョンが言った 「ピート、女が欲しいな 一人、呼んでもかまわないか?」
   ピートはもう眠かったので、その意見に賛成した 「ああ、いいよ ココは君の家なんだから」
   「OK そうと決まったら、すぐに呼ぼう 誰にしよう? そうだ! ヨーコがいいなあ!!」

20 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 18:47:49 ID:???0
    〜 The Beatles / Birthday
    〜 The Beatles / Oh! Darling (Anthology 3)
     (小林)おなじみの曲ですけど、アンソロジー3に入ってる違うテイクですね
        後半は全くのアドリブで、単純な曲だから遊びをしているうちにこんな感じになってしまったと思いますけど


21 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:08:28 ID:???0
  ・明らかにいけない薬による奇行が目立ち始めたジョン・レノン
   「僕はイエス・キリストの再来だ」という発言をした夜、自宅に戻り、リバプール時代からの悪友ピート・ショットンと
   またもや酩酊状態に入った ぼんやりとして、何も面白いことが見つけられないジョンは「女が欲しい」と言い始めた
   「じゃあ、あれがいいや ヨーコでも呼ぶか」 ピートはこのヨーコという名前を聞いて、アップルのオフィスで
   見かけた、小柄な日本人芸術家を主追い出した 「ああ、あの黒い服を着た変わった女ね ジョン、彼女のことスキなのか?」
   ジョンは、ピートになら何でも話せた 「ああ、たぶんな でも、本当の所はハッキリ分からないんだ
   でもな、ピート 彼女には何かがある 俺はもっと彼女のことを知りたいだけ それに今、女房がいないから
   こんなチャンスはないだろ」 そう言ってジョンは、さも意味ありげな目つきをした
   こういう具合に事を運べば、奇妙には思われないし、もしくは単なる遊びなんだという印象も与えられる
   たとえ相手がピートであっても、ヨーコのこととなると、ジョンも慎重だった
   電話をするとしばらくして、ヨーコが到着した 夜に突然呼び出したというのに、ジョンは熱狂的なファンか
   どうってことない知人でも迎えるような、素っ気ない態度だった
   三人は最初、ラウンジでくつろいでいたが、ヨーコが居心地悪そうに黙ったままなので、ジョンもピートも落ち着かなかった
   ピートは礼儀上、この夜の訪問者を迎えいれてもてなした 最初から二人だけだと、ジョンはどうしていいか
   わからなかったのである しばらくして、ジョンがこの雰囲気に慣れると、ピートは気を利かせて、自分の部屋に戻った
   ジョンとヨーコは屋根裏のスタジオに籠ってテープ作りを始めた ジョン・レノンのもう一つの面として発表される
   アヴァンギャルドな作品は、こうして二人の共同作業で進められた
   そして二人は遂に、運命的な朝を迎えるのである

22 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:08:55 ID:???0
    〜 John Lennon and Plastic Ono Band / God
    〜 The Beatles / Savoy Truffle
     (小林)いやー、これもカッコいいよね そしてその前は
        「自分はイエス・キリストの再来だ」ということをいったジョンですけど
        ジョンの曲ってのは、一つの発表みたいなところがあるんですよ
        この「ゴッド」というのもすごいよね 神っていうのは頭の中での考えでしかない
        何も信じない、誰も信じない 色んな名前が出てましたけど、信じるのは自分自身っていう
        ジョンの宣言ですよね

23 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:25:43 ID:???0
□リクエスト
  ・いつも克也さんの分かりやすく楽しい話を聞いています 僕はビートルズが大好きな高校生なんですが
   ポールが好きなので、ポールのソロアルバムも70年〜最新までほとんど聴きました
   ポールの曲の中で好きなこの曲をお願いします(横浜市磯子区/男性/16歳)
    〜 Paul McCartney / Off the Ground

  ・毎週、この番組を楽しみに聞いているトラックドライバーです
   確かに彼らはすごいと思います 音楽にとどまらず、髪型やファッションなど世界中に与えた影響は
   ただすごいの一言 その影響を受けた一人です そこで、克也さんにお願い
   ビートルズの曲で「54歳になったら」で始まる曲が聞きたいのですが、曲名が思い出せません
   僕は54歳になって、あの曲のように、妻と花いじりをしています(川越市/男性)
    〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
     (小林)まず、54歳じゃないからね、64歳だから
        で、これはポールがほとんど10代の頃に書いたんだけど
        64歳になっても愛してくれるかい?っていう若者の曲ですからね
        ポールみたいに本当に64歳になっちゃったらシャレにもならないですけど
        後、10年ありますから!

24 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:33:01 ID:???0
  ・サージャント〜がビートルズの最大傑作と言われていますが、完全に後追い世代の私には当時の人々が
   このアルバムから受けたであろう衝撃を感じることが出来ませんでした 私の時代にはビートルズが
   本作で作り上げた手法が一般的なものになっていたからです アルバムと同時代の他の音楽や
   本作以前のビートルズのアルバムと、如何にサージャント〜が革新的であるか実感できます
   しかし、リアルタイムで体感できなかったことを残念に思っていました 果たして、そのような衝撃を
   与えてくれる音楽と出会うことが出来るのであろうか そう思いながらずっと音楽を聴いてきましたが
   自分的に自分にとってこれが自分のサージャント〜だと感じられたのがレディオ・ヘッドの「OKコンピューター」
   でした(横浜市/男性)
    〜 Radiohead / Paranoid Android
     (小林)いいよね、若い人達はね
        サージャント〜をいくらすごいすごいと押し付けたってね、そのすごさってのは分かんないですよね
        やっぱり、自分で見つけたのが正解だと思います レディオ・ヘッドはすごい音楽だから
        「OKコンピューター」でガラリと、今まで築き上げたものを方向転換しちゃったから
        すごいですよね

25 :ポール・キロックトニー:2008/06/29(日) 19:37:03 ID:???0
(小林)ジョンも、無茶苦茶やったりしますねー だけどあんな偉大なことを残したわけですね
   それから今日はリクエストでかかったレディオ・ヘッド
   ビートルズ世代の方々は、どんな感想を抱くのでしょうか? 興味があります

26 :ホワイトアルバムさん:2008/06/29(日) 20:20:52 ID:???0
キロックトニーさんいつもお疲れ

27 :ホワイトアルバムさん:2008/07/01(火) 20:26:42 ID:???0
前スレ、何で途中放棄しちゃったの?

28 :ホワイトアルバムさん:2008/07/01(火) 21:18:59 ID:???0
>>27
どんだけ新参だよ・・・。
スレは500KBまでだ。

29 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:16:07 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月6日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月6日)
  ・1957年 (51年前)
    今日は有名な日です! 歴史に残る、運命の日! ジョンとポールが出会った日!!
    実は、ジョンのバンド「クォーリーメン」は、リヴァプールのウールトン地区のセイント・ピータース教会
    のお祭りのイベントで呼ばれて、演奏していました そこへポールが、共通の友人のイヴァン・ボーンという
    男に連れられてやってくるわけです そうすると、ジョン・レノンたちが「Come and go with me」を演奏している
    それを見てポールは、(歌詞がでっち上げだ、ギターがロックのスタイルじゃないな)っていうことを
    見抜いたそうです でも「なかなか良い演奏だね」とほめたそうです で、ステージの裏でポールは
    彼らの右利き用のギターを借りて、さっと左に持ち替えて、エディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」
    ジーン・ヴィンセントの「ビーバップ・ルーラ」、それからリトル・リチャードの曲を歌ってる時に
    ジョンが後から抱きついて、「やるじゃーん」と言ったそうです その数週間後ですが、ジョンは悩むわけです
    (あいつはすごいけど、主役を持っていかれそうだな)だけど、彼は決心します ポールをバンドに誘って
    ポールが加入することになります 受験勉強風の覚え方だと、明日の7月7日こっちがリンゴの誕生日
    そして、7月6日がジョンとポールが出会った日 こういう風に覚えて受験に望んでいただきたいわけです
    〜 John Lennon / Be-Bop-A-Lula

30 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:32:23 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・ビートルズがインドへの修行旅行から帰って間もない1968年初夏 ── ジョンは気ままな独身生活を満喫していた
   独身生活とは言っても、現実にはシンシアという妻がいる が、実際には夫婦の関係は壊れかかっていた
   それも、ジョンの方から一方的に別れたがっていたのである それを察してか、シンシアもインドから戻ってすぐ
   ジョージの妻パティや、彼女の妹達と一緒にギリシャに出かけた ジョンはすかさず、リヴァプール時代からの悪友
   ピート・ショットンを呼び寄せ、ケンウッドの自宅に寝泊まりさせた 元来、寂しがりやのジョンである
   孤独が最も嫌い ピートなら気楽に何でも話せるし、悪さにもつき合ってくれる そんな独身生活のある日
   ジョンは急に女っけが欲しくなった 「ああ、女が欲しいな ピート ヨーコを呼んでも良いかな?」
   「もちろん良いよ、ここは君んちだから ヨーコって、真っ黒の服を着た日本人の芸術家のことかい?」
   ピートはジョンがヨーコに興味を持ち、互いに魅かれていることに気がついていた しかし、長年の付き合いである
   ピートは、特に突っ込みもせず、温かく見守っていた そしてその夜、ヨーコはジョンの家にやってきた
   せっかく訪ねてきてくれたというのに、照れ屋のジョンはヨーコにどこかよそよそしく振る舞った
   最初は三人でくつろいでいたが、それに飽きたジョンは、ヨーコと屋根裏の自宅兼スタジオに籠って
   テープの編集作業をやり始めた 後に二人の全裸ジャケットで物議をかもすことになる問題作「Two Virgins」
   の原型がここで作られた 次にジョンはヨーコに「いけないもの」をすすめた ヨーコもこれを受け入れ
   二人はそれを「素敵なゲーム」と呼んだ そして明け方になると、二人はベッドに転がり込み、ごく自然に
   そして自由に、愛を確かめ合ったのである
    〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
    〜 The Beatles / Act Naturally

31 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:44:56 ID:???0
  ・妻シンシアの留守を良いことに、お目当てのヨーコを自宅に招き入れたジョン・レノン
   いつしか二人は、愛を確かめ合う関係になった そして、新しい朝を迎えた この日、同居人でリヴァプール時代
   からの悪友ピート・ショットンは、いつもより早く目覚めた 朝食をとろうと階段を下りていくと、サンルームで
   日本の茶色い着物を着たジョンが、ゆで卵を食べながら紅茶を飲んでいる ピートは少しびっくりして声をかけた
   「ジョン、おはよう ちょっと早いじゃないか?」ジョンは答える「いや、早いんじゃなくて、全然寝てないんだよ
   それより、ピート 新しい家を探しに行って欲しいんだ お前、そういうの得意だったろ?」「え? 新しい家って
   ジョン 君、ここの家、気に入ってるじゃなかったのか?」するとジョンは、一大決心をするかのように
   紅茶のカップを置いて答えた 「ピート、俺ヨーコと二人で新しい暮らしを始めたいんだ」もちろん、ピートは
   びっくりした しかし、つい先日は「俺はキリストの生まれ変わりだ」と発言し、みんなを驚かせたジョンの
   ことである また、ドラッグが招いた奇行と理解するならば、何ら不思議はなかった しかし、着物を着て
   朝食の残りを目の前にして座っているジョンは、とても夢の世界をさまよっているようには見えなかった
   どう見ても、真顔である 「ヨーコと二人で新しい暮らしを始めたいんだ」自分に言い聞かせるように、ジョンは
   同じ言葉を繰り返した 彼の強い信念に圧倒され、ピートは声をうわずらせた 「ジョン!いいよ、それがいい!
   やったな、ジョン!」 ピートのこの言葉に刺激され、せきを切ったかのようにジョンはまくしたてた
   「そうだよな、ピート ずっと長い間、僕が願っていたのはこれなんだよ 他には何にもいらない
   ビートルズなんてクソッ食らえだ 金なんてクソッ食らえだ みんなクソ食らえだ ヨーコと一緒ならテントにだって
   どこにだって住んでやる」ピートもこれに答えた 「そうだよジョン、信じられないことだけど、これはすごいこと
   なんだよ」「ああ、ピート 本当にすごいことだ 俺は、ヨーコと一緒になるぞ!」

32 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 18:50:05 ID:???0
    〜 The Beatles / Dizzy Miss Lizzy
    〜 The Beatles / Get Back
     (小林)有名なセリフだよね 「オーディション受かったな?」っていう、ジョンの有名なセリフ

33 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:08:28 ID:???0
  ・「俺は、ヨーコとの新しい生活を始める」
   1968年、初夏のある朝 ジョンは宣言した さらに、ジョンは続けた 「子供の頃、初めて恋をしたときは
   こんなだったね 女の子と出会うだろ、いつも彼女のことばかり考えるようになって、ずーっと一緒にいたいと
   思うようになる 頭の中は、その子のことでいっぱい あ、そうだ! ヨーコが二階にいるんだった
   一刻も早く、彼女の所へ戻りたいよ あんまりにもお腹が空いてたんで、卵を食べに降りてきたんだけど
   もう一秒もヨーコと離れていられないんだ」その日の夜ヨーコは、身の回りのものをジョンの家に運び込んだ
   彼女の洋服があまりにも少ないことに、ジョンの家政婦はびっくりした これはいけないと、ジョンは
   同居人のピート・ショットンに札束を握らせて、ヨーコを買い物に連れて行ってくれるように頼んだ
   そして、ピートの次の仕事は不動産屋に出かけ、まだ土地に余裕のあるロンドンの郊外80キロ圏内に
   家を探してもらう手配をしてもらうことであった 条件はただ一つ、金に糸目はつけない 良い家を探すこと
   この時点でまだ、ジョンにはシンシアという妻がいた シンシアは学生時代からのジョンの恋人であり
   二人の間では5歳になったばかりの息子ジュリアンがいた ジョンとシンシアが結婚するとすぐ
   ビートルズは人気の絶頂に上り詰めた マネージャー、ブライアン・エプスタインの方針で、シンシアは
   公にはジョンの妻であると発表されることはなかった 人前でも二人のツーショットは、絶対禁止されていた
   シンシアはいわば、ジョンの影の女であった そんなシンシアは、ジョンの女癖の悪さには、ほとほと困り
   はてていたが、それでも息子のジュリアンのことを考え、離婚は考えなかった ジョンがヨーコを自宅に
   招き入れていたこの時、シンシアはギリシャに旅行中であった 旅行と言っても、自分が望んだものではなく
   一人気ままに暮らしたいジョンの望みで、無理矢理行かされた旅であったが、ギリシャから帰ると
   シンシアはまるで、ホラー映画のような現実に出くわすのである
    〜 The Beatles / I am the Walrus
    〜 The Beatles / Blackbird - Yesterday (Love)

34 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:24:44 ID:???0
□リクエスト
  ・先日、映画評論家の水野先生が、あの世に旅立って行きました とても残念ですが、自分の人生についても
   考えさせられました なぜか、水野先生の顔を見ると、この曲が出てくるんです なぜだか分かりません
   あまり洋画を見なかった私に、洋画の面白さを語ってくれたのが、水野晴郎だったのだと思います(守谷市/男性)
    〜 Heuy Lewis and the News / The Power of Love

  ・夕方の犬の散歩、一時間以上しながら聴いています しつけの悪い犬がキャンキャンと鳴いてるようにしか
   聞こえない若い子のDJよりも、小林さんの落ち着いた声が好きです イエロー・サブマリン自体が脱力系ですが
   音頭になると、さらに脱力感が増すような気がするのは私だけでしょうか 数あるビートルズ・トリビュートの中で
   これだけ異色な曲は珍しいと思います なんで、この曲が生まれたか、ご存知なら教えてください(成田市/男性)
    〜 金沢明子 / イエロー・サブマリン音頭
     (小林)この曲のアレンジ、プロデュースを担当した大瀧詠一、彼もすごい才能です
        彼が担当したからであります 音頭というのは、日本の独特の音楽というわけで
        リンゴが歌う楽曲とこれを合体させたわけで
        大瀧詠一は「ビートルズの曲は、全曲歌える」と言っています
        彼は、ウソを言わないと思います 全部歌えるんですよー 歌詞も忘れてないんですよ
        そんな人ですから、これが実現したんだと思います

35 :ポール・キロックトニー:2008/07/06(日) 19:31:13 ID:???0
  ・以前、ダコタ・アパートに行ったことがあるんですが、好き勝手に改装されてるみたいでした
   マンハッタンにありながら、ヨーロッパを感じさせるプラザ・ホテルに似ていました
   リクエストは、ダコタつながりで、ポール・サイモン(船橋市/男性)
    〜 Paul Simon / Another Galaxy

(小林)1968年の特にジョンの話は、本が豊富にあります 時々聞かれるんですけど、ジョンだとかポールがかわした会話
   あれは、本当なんですか?って、あのー、半分は本当です ここら辺の話は、ジョンが行動を共にした
   ピート・ショットンのインタビューをはじめ、それを元に書かれていますからね、かなり真実に迫っていると思います
   だけど、この頃の一方的な本だとかあるんで、まあ半分ぐらいに割り引いて、楽しんでいただきたいと思います

36 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 18:51:11 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月13日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月13日)
  ・1964年 (44年前)
    アメリカで「ハード・ディズ・ナイト」が発売になりました もうビートルズが有名になって
    ちょっとたって この「ハード・ディズ・ナイト」ビートルズの最初の映画のテーマ曲
    もちろんNo.1ヒットですが、タイトルがなかなか決まらなかった
    映画の方は、撮影編集が終わっていた(んですが)、そんなハードスケジュールの日の夜
    リンゴ・スターが ── リンゴという人は小学校もろくに行っていないから、ちぐはぐな英語を
    言うので有名な人なんですけど ── リンゴ・スターはこう言いました
    「ああ、きょうは忙しい日の夜だったね」「忙しい日の夜? それ面白いな、"忙しい日の夜"に決定!」
    っていうことで、ジョン・レノンが決めてしまいました
    それが、ハード・ディズ・ナイト=忙しい日の夜だったわけです
    これと同じような間違いは、「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」これも英語的におかしいんだって
    英語(の試験)だと×もしくは△の表現、これがタイトルになっています
    ところで、この「ハード・ディズ・ナイト」ポールとジョンが3日ぐらいで書き上げたっていうから
    パワーもすごいですけど、曲のイントロがものすごくいいよね 改めて聞いて欲しいんですが
    まだ誰も使っていなかったエレクトリックの12弦ギターをジョージが使っているけど
    コードが分からない これは5和音であるとか、いや2本のギターで違うコードでやってるとか
    真相はビートルズとジョージ・マーティンにしか分からないということであります
    〜 The Beatles / A Hard Day's Night


37 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 18:51:43 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・妻のシンシアがギリシャ旅行に出かけている間、ジョンはヨーコと深い関係に陥った
   不倫関係を通り越して、ジョンはヨーコとの新しい生活を考えていた それどころか
   根っからの空想家のジョンは既に離婚の手続きを終えて、オノ・ヨーコとの結婚を済
   ませ、郊外の立派な家に落ち着いたつもりになっていた ここが問題である 一人よ
   がりの傾向の激しいジョンは、現在の状況を妻のシンシアに伝えるという作業をは
   しょってしまった そのため、シンシアは旅行から帰ると、まるでホラー映画のよう
   な現実に出くわすのである 「不気味なぐらい静かでした」と、その時のことを思い
   出して、シンシアは語っている 一緒にギリシャ旅行に出かけた友人二人と自宅の近
   くに戻ってきた時のこと 家の周りに誰も見えない 息子のジュリアンも家政婦も庭
   師もいない 最初はきっと前の晩に夜通しのパーティーでも開いていたのでは? そ
   してまだ、みんな眠りこけているんだろうと、彼女は考えた 女性のお尻をかたち
   どったドアのノック細工をつかむと、コンコンとドアをたたいた 返事はなかった
   仕方なく、スーツケースを開け、鍵代わりの磁気カードを取り出した 60年代として
   は最大限の設備だったのである そこで初めて気がついたのであるが、ドアには最初
   から鍵がかかっていなかった シンシアは恐る恐る中に入った 二人の友人も一緒に
   中に着いてきた 次に彼女は板張りの暗い玄関から二階に向かって、大声を上げた
   「ジョン! ジュリアン! 誰かいないの?」あたりはシーンと静まり返っていた
   ラウンジのカーテンから漏れる明かりが妙に薄気味悪かった 右手の食堂に入り、
   キッチンを抜けて、サンルームまで抜けてシンシアはその場に釘付けになった そこ
   には、ボザボサ頭のジョンがティーカップを片手に座っていたのである
    〜 The Beatles / I'm So Tired
    〜 The Beatles / I've Got a Felling

38 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:08:38 ID:???0
  ・夫のジョンから勧められたギリシャ旅行から帰ってきたシンシアは、何か得体の知れない
   異変を察知していた 物音一つしない家に入ると、やはり人の気配がない ジョンと息子
   のジュリアンの名前を呼んでみても反応がない 恐る恐る中に入るとキッチンの先のサン
   ルームにいたのは、緑と白のバスローブを着たボサボサ頭の夫、ジョン・レノンだった
   ジョンはティーカップを片手にソファーに座っていた そして、その向かい側に、こちら
   を背にして座っていたのは、黒いシルクの着物を羽織った、黒髪豊かな小柄な女性であった
   シンシアは語っている 「いきなり、レンガの塀に突き当たったような感じでした 私
   にはもう、居場所がなかったんです」 居場所がないというのは、真実だった 知らない
   内にシンシアは、捨てられていたのである 長い長い沈黙を破って、ジョンが口を開いた
   「やあ」 たった一言だけ言うと、落ち着き払って、煙草の煙を吐いた シンシアはすっ
   かり頭が混乱してしまい、ロボットのように口をぽかんと開けると、帰りの飛行機の中で
   用意していた言葉をそのまま口にした 「素敵なことを考えていたのよ 私たち、ギリシャ
   で朝食を食べて、お昼はローマだったの これでロンドンに帰って、みんな揃って夕食を
   食べられたら、この休日も最高ねって、三人で話していたの」 彼女は一気にまくしたてた
   「いや、夕食は遠慮しとくよ」 ジョンの返事はあまりに短く、冷淡であった この時、
   ヨーコが後を振り向き、自信にあふれて勝ち誇ったような視線をシンシアに投げ掛けた
   シンシアは回想する 「それには唖然としました でも、不思議なことに、腹は立たなかっ
   たんです ただ、完全に行く手を阻まれた感じ だから、争う気にも、何をしていたのかを
   問いただす気にもならず、ただ一刻も早くここを離れたいってことだけを考えていました」
   こうしてシンシアは二階にある自分の部屋の荷物をまとめ、15分後には家を後にしたのである
    〜 The Beatles / She's Leaving Home
    〜 The Beatles / Hey Bulldog


39 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:09:37 ID:???0
  ・ジョンの妻シンシアがギリシャ旅行から帰ると、そこにはジョンの側に横たわるオノ・ヨーコがいた
   シンシアは、家を出るしかなかった 帰宅してから、たった15分後に、彼女は再びケンウッドの自宅
   を離れることになったのである シンシアは語っている 「あの時のジョンの沈黙は、(この素敵な
   時間を邪魔しないでくれ、さっさと消え失せろ、お前のおかげで台無しだ)とでも言ってるように思え
   ました」 シンシアは、ジョンの無言の命令に従う他はなかった 一言の抗議もせずに、夫と我が家
   を他の女に預け、上辺だけの付き合いに過ぎない友人二人と共に、彼女はケンウッドを後にした
   この友人の一人、男性の方のアレックス、通称マジック・アレックスは、ビートルズの会社アップル
   の研究員だった ジョンもこのアレックスとは特別に親しい間柄、言うなれば親友の一人だった
   そしてアレックスは、一緒に旅行に行ったジェリーとロンドンに小さなアパートを共有していたため
   この日の夜は、シンシアをそこに泊めてあげようということになった この夜の出来事について
   ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが最も信頼していたスタッフであり、また
   ビートルズの伝記の著者でもあるピーター・ブラウンは証言している 「シンシアは、このアパート
   の食卓でロウソクをともし、アレックスとワインを飲みながら遅くまでしゃべってました リバプール
   時代、ロックンロールに夢中で他のどんな男の子より輝いていたジョンのこと、巡業先のハンブルグ
   に陣中見舞いに行った時、ブリジッド・バルドーみたいな可愛いスカートを買ってくれた時の思い出
   などなど 以前はアレックスのことなんて、インチキ呼ばわりして、まったく信用していなかったのに
   この時は、胸の内を聞いてもらえる相手が無性に欲しかったんでしょう 明け方までにワインを何本も
   空にしたようでした それからベッドに潜り込むと、ジョンの親友に体を預けたのです シンシアを
   いう女性は、およそそういうタイプではなかったんですが、ジョンとヨーコのことが本当にショックで
   きっと、やけになっていたんでしょうね」


40 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:10:10 ID:???0
    〜 The Beatles / Girl
    〜 The Beatles / A Taste of Honey
     (小林)「ガール」は何度かかかりましたが、コーラスが「ティトティトティトティト...」って
        「tit」っていうのは、「おっぱい」という意味で、「おっぱいおっぱいおっぱい...」
        というコーラスをジョンのセンスで入っている曲であります
        というわけで、ジョンとかポールとかは大変な自体になっているわけですよ
        で、マジック・アレックスとカミさんが一夜を共にしてしまうわけですが、
        マジック・アレックスというのは、ギリシャ系の人間で、ジョンがすごく気に入っていて
        自称エンジニアで発明家で便利屋なんです だから何でもやってくれるという
        何を任したかというと、アップルの地下のEMIに負けないようなスゴいスタジオを作ろう
        ということで、マジック・アレックスに任せるわけですよ ところが、全然言葉ばっかりで
        一億円以上かけても、結局何も出来なかったという落ちがついてるんですよね
        悪いヤツなんです、マジック・アレックスというヤツは


41 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:37:43 ID:???0
□リクエスト
  ・僕がビートルズに出会ったきっかけは、ドラムスの発表会の時のことです 僕はドラムを習って
   いて、小6の時、初めて発表会に参加しました そして中にはビートルズの曲が何曲かありました
   それからたまたま家にあった青盤を聞き、赤盤を借り、完全にのめり込んで行きました
   なんと言ってもビートルズのスゴさは、あの聴きやすいメロディーとシンプルな歌詞ですよね
   ビートルズの偉大さは何年経っても消えることはないでしょう 話は変わって、中3の時の総合学習
   で、自由なことをレポートにまとめる課題が出ました 僕は、ポピュラーミュージックの歴史という
   タイトルで調べていました リクエストは、僕が初めてコピーした曲である、ヴァン・ヘイレンの
   ユー・リアリー・ガット・ミーをお願いします(我孫子市/男性/15歳)
    〜 Van Halen / You Really Got Me
     (小林)ヴァン・ヘイレンはカバーだっていうこと知ってたかな?
        ビートルズが出た頃、ユー・リアリー〜が流行っていた
        ビートルズと重なっていたって、知ってたかな?



42 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:38:15 ID:???0
  ・今までにビートルズそっくりソングをリクエストさせていただきましたが、ラジオで放送された
   曲を聴くと、また新鮮な感じがあります 私のロック人生の始まりは、まさにこの曲から始まりました
   ジョンのうなるようにシャウトするボーカル、ポールの地鳴りのようなドラムとベース
   ジョージの分厚いギター これはロックンロールじゃなくて、ハードロックだと思います
   鮎川誠が、「優れた音楽というのは、時間と空間を超越する」と言ってました まさにそのとおりだと
   思います(小平市/男性)
    〜 The Beatles / She Loves You

  ・私は大学でビートルズ研究会に所属させていただいています 恥ずかしながら、今日までこの番組を
   知りませんでした(鎌ヶ谷市/男性)
    〜 The Beatles / Besame Mucho (Anthology 1)

  ・おいらのお慕い申し上げる、サザンが無期限の活動中止とのこと しかし、解散ではなく休止の報に
   少し安心 早期活動復活を祈りながら、サザン復活と叫びたいと思います(八千代市/男性)
    〜 サザン・オールスターズ / BYE BYE MY LOVE(U ARE THE ONE)
     (小林)サザンのホームページを見ますと、桑田の影響された音楽として、ビートルズ、リトル・
        フィートが書かれています 


43 :ポール・キロックトニー:2008/07/13(日) 19:38:47 ID:???0
(小林)1968年頃の話は、血なまぐさかったりしますね やっぱりね、世界一のグループだからね 順風満帆
   なんてことはないわけですよ 最近ではそれが美化されたリしてますけど、結構血なまぐさい ジョン
   にとっては、不倫ですよ 大変な時期ですよ、本当は ジョンの個人的にはピンチの時期ですよ
   人気どころか、ジョンに非難が集中してくるんです で、ヨーコなんかイギリスにいられなくなるよう
   になってくるわけです そういうわけでNYに脱出を計ったりして、その頃の話はこの番組に任せてください

44 :ホワイトアルバムさん:2008/07/13(日) 20:17:33 ID:2bjIw55D0
ビートルズ関連の話題は、ジョンとジョージが亡くなってしまい
枯れましたねw

ジョンとジョージの遺作が有った時まで、何とかつないだ
でも、もう枯れた。



45 :ホワイトアルバムさん:2008/07/13(日) 22:35:36 ID:???0
今日も乙

46 :ポール:2008/07/14(月) 00:12:36 ID:JmQIAQYF0
おもしろい 千葉県及び首都圏しか聞けないのかな?
ネットラジオとかないの?
聞きたいねえ 全国ネットにはならんのかな

47 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:11:31 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月20日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月20日)
  ・1968年 (40年前)
    ポールの婚約者だったジェーン・アッシャーが、BBCテレビに出ます
    えー、これは、サイモンド・ディーの「ディー・タイム」という番組なんですが
    ここで、「ポールとの婚約はやめた」とジェーンが発表するんです
    考えてみると、テレビで世界の人気者ポールの相手ですから、みんな注目してるよね
    それも、BBCだから、NHKみたいなものですよ、そこで「ポールとは結婚しません」みたいな
    すごいですよね、この番組を通してご存知だと思いますが、ポールとジェーンは
    ジェーンがまだ17歳の時に、世界で売れる前、イギリスで売れ始めた頃に楽屋で知り合って
    5年間つき合うんだからね、階級社会が残るイギリスでは(ジェーンはお嬢様なので)
    ポールはジェーンの家に下宿のような形で長い間、そこでお母さんやお父さんや
    兄のピーターにポールが曲を書いてデビューをすることもおなじみだと思いますが
    色んな勉強するわけですよ、ポールは で、結婚も当然だと思われてたんだけど
    ポールの浮気がね リンダともあったんだけど、アメリカのコピーライターとベッドにいる所を
    旅興行から帰ってきたジェーンが見つけてオジャンになっちゃうという
    それも、この番組でやってますけど その仲睦まじい時は、ジェーンと犬も飼いました
    ポールは犬が大好き で、前も言ったけど、ジョンは猫人間 ポールは犬人間なんですよね
    このジェーンと一緒に飼った犬には「マーサ」という名前を付けて
    そのマーサに捧げた曲もありました 覚えていますか?
    〜 The Beatles / Martha My Dear

48 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:16:20 ID:???0
     (小林)マーサという名前のとおり、メス犬です でっかい犬ですよ!
        犬に詳しくないので良くわからないんですが、グレート・デンとか
        あれクラスのでっかい犬ですよね 写真...見た方いると思いますけど
        犬に愛情いっぱいですよね だけど、Silly girl(馬鹿な女)とか、You're my inspiration
        とか、そんなことを歌っていました

49 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:29:08 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・ジョンとヨーコの浮気現場を目撃した妻のシンシアは、すぐに家を出て行ってしまった
   ジョンの仲の良い友人で、ビートルズの会社アップルの社員でもあったマジック・アレックスの
   アパートに居候することになったシンシアは、その夜ワインでしこたま酔っぱらったせいもあり
   アレックスに身を委ねた シンシアも初めての浮気をしてしまったのである このシンシアの浮
   気相手マジック・アレックスとビートルズの関係を語るには、時間を一年前の1967年までさか
   のぼらなければならない ビートルズの、いやロック史上の最高傑作と呼ばれる「サージャント〜」
   が世界中で絶賛されていた1967年7月、ビートルズは4人揃ってギリシャにいた 当時は
   ヒッピー・フラワームーブメントの真っ盛り ビートルズもご時世に乗り、みんなでコミューン生活
   つまり、共同生活を送るためのユートピアとして島を買おうと、ギリシャに物件探しに乗り込んで
   いたのである こんなアイデアを思いついたのも、当時知り合った通称マジック・アレックス
   と呼ばれる男、アレキシス・マーダスの影響であった アレックスは若いギリシャ人で、優秀な
   発明家という触れ込みであり、ビートルズはすぐに彼の様々な計画に資金を供給させられるよう
   になっていた 特にジョンは、アレックスの作るものに夢中になった 元々ジョンは子供じみた
   所があり、ベルや笛が着いているだけで、それがどんな機械であっても、すぐに目の色を変えた
   ジョンばかりではない 自分の才能と音楽、そしてお金しか信じない男ポールまでもが、マジック
   ・アレックスの開発している「素晴らしいであろう」技術革新について、わざわざ休日にアビー
   ロードスタジオに出向いて、プロデューサーのジョージ・マーティンに講釈するまでになっていた
   この時、アレックスはビートルズの中で、まさに話題の中心にいたのである

50 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:40:36 ID:???0
    〜 The Beatles / Fool on the Hill (Take 4 / Anthology 2)
    〜 The Beatles / Gnik Nus - Something - Blue Jay Way (Love)
     (小林)これは、なかなか良く出来てますよね 名曲「サムシング」の導入部
        それから、後奏部って言うんですかね 「Gnik Nus」ってのは何かって言いますと
        ファンはご存知だと思いますけど「Sun King」を逆さまに、テープを逆回転させてるん
        ですね、それから「サムシング」へつないでいって、ジョージの「Blue Jay Way」へ
        愛情がありますよね 例の「Love(2006)」から
        その前も、ポールの歌い方とか、楽器の編成とかが違っていた
        「アンソロジー2 (1992)」の中から、Take4のバージョンをお送りしました


51 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 18:58:49 ID:???0
  ・ジョンもポールも揃って絶賛していたギリシャ人の発明家マジック・アレックス このアレックス
   の発明の計画には信じられないようなものがあった その一つに「音をさえぎる壁」 実はそれが
   目に見えないソニック・スクリーンなるものをレコーディング・スタジオに導入するというものが
   あった つまり、レコーディングの際に生で最も大きな音を出すといえば、もちろんリンゴのドラ
   ムセットである 通常、このドラムの音がギターやボーカルの前にかぶって来ないように、別の部屋
   を用意したり、もしくはつい立てを置いて対処していた しかし、マジック・アレックスの提唱する
   このソニック・スクリーンを使えば、ドラムの音を完全にシャットアウト出来るというのである
   さらに、ダイヤルのいらない電話機というのもあった ソファに座ったままで、「ジョージ・マーティン
   につないでくれ」と言えばそれでOKというもの アレックスが言うには、「自分の父親はギリシャの
   政府高官である」ということであった ジョンもポールも、これをすっかり信じ込んでいた アレックス
   は提案した 

52 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:00:56 ID:???0
「ギリシャには、きれいな島がある たーくさんあってね、すごく安いんだよ 一応は
   ギリシャに利益をもたらすことを装って買わなければならないんだけど、一旦買ってしまったら
   こっちのもの 島を完全に自分たちの楽園にしてしまえばいいのさ」 すっかり口車に乗せられた
   ジョンとポールは、すぐさま資金繰りに乗り出した 大金を国外に持ち出すのである しかるべき
   手続きがいるようになるのは当然 二人は以前からマネージャーのブライアン・エプスタインを説得
   していたことがある それは、国外への通貨の流出を厳しく規制する法律を何とか緩和するように
   イギリス政府に働きかけてもらえないかというものである ビートルズはこの5年あまりでイギリス
   に莫大な利益をもたらしている 自分たちだって何らかの恩恵を授かったって良さそうなものではないか
   というのが、ジョンとポールの言い分であった 特にポールは、自分たちのユートピアとなる島の
   購入にこだわっていた なぜならば、そこではマスコミや警察の目も気にせず、誰にも気兼ねせず
   いつだって、あの大好きないけないものをたしなむことが出来たからであった
    〜 The Beatles / Day Tripper
    〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
     (小林)あらためて聞いても、ビートルズはスゴいことをやってたって気がしますが
        まず、「ディ・トリッパー」1965年の「We Can Work it Out」のB面だったんだね
        で、今のが「Tomorrow Never Knows」アルバムは「リボルバー」

53 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:21:22 ID:???0
  ・1967年夏、ビートルズの金に魅せられて寄ってきた男がいた その男の名前は通称マジック・アレックス
   ギリシャからやってきた、自称発明家だった アレックスはインチキな発明のために、ビートルズに
   金を出させるだけでなく、ギリシャの島を購入し、そこをビートルズとその仲間達のユートピアにする
   計画を持ち出した ジョンもポールも大乗り気である ポールは「誰にも気を使わずに過ごせる所を
   手に入れたい」と言い、ジョンは「素敵だろうな、太陽の下、ただ寝転がっていられるんだ」と言った
   ビートルズがマネージャーのブライアンを通じて、イギリス政府に掛け合った結果、当時の財務長官
   後に総理大臣となるジェームス・キャラハンのおかげで、特別な免税を受けることが出来た それだけ
   当時のビートルズはイギリス政府から特別扱いを受けていたということになる 免税措置によって
   ビートルズは一万ポンド、今の価値に換算すると10億円以上の金額でエーゲ海に6つの島を買った
   しかし、ビートルズは一度は出かけていったが、やはりその生活に飽きてしまい、後に彼らの楽園は
   売却された ジョンはそのすぐ後、ほんの気まぐれから二万ポンド出して、アイルランドの北西海岸沖
   にあるドウニュスと呼ばれる無人の小さな列島を買った ジョンはこの島々にかなりの出費をした
   特にこだわって金をかけたのは、色とりどりのサイケデリックな馬に引かせる「サージャント・ペパー
   ワゴン」で、この島に船で輸送させた そのワゴンは、人間が寝泊まり出来るもので、島で最初の建造物
   となった ジョンは、この島に一度訪れた ヘリコプターで飛んで、アップルに入社したいという
   メディア志望者の面接試験を、わざわざこの島で行ったのである しかし、そこに集まったのは
   まじめにビジネスをしたいと考える若者どころか、やはりビートルズの金に群がろうとする、ろくでもない
   連中ばかりであった 結局この島は、ヒッピー達の巣窟となり、その連中に島をそっくり全部くれてやったのである

54 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:29:54 ID:???0
    〜 The Beatles / Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
    〜 The Beatles / Hey Jude (Anthology 3)
     (小林)ビートルズが化粧する前みたいな、生々しさが伝わってきますね
        インタビューでポールが「アレサ・フランクリンが歌うとなー」みたいなことを
        言ってましたが

□リクエスト
  ・日曜日の午後、某局のY氏のとの掛け持ちですが、オールディーズがジャンジャンかかるので
   聞き逃せません えらそうな評論みたいなものなんですけど、「リボルバー」は不遇なんじゃないか
   て思います ただでさえ「サージャント〜」の存在に圧倒されてるし、「ハード・ディズ・ナイト」の
   ような元気アイドルっぽい瑞々しさもなく、アイドルからの脱却というテーマでさえ「ラバーソウル」に
   取られるわで、ひどく地味な感があります ボリューム感も今ひとつかける (でも)技術うんぬんは
   ともかく、ひどくビートルズらしい所が好きなんです(南埼玉郡/男性/20歳)
    〜 The Beatles / And Your Bird Can Sing
     (小林)いいアルバムの中間と中間のあたりということなんですが、そうでしょうかね?
        結構ね、今で言うと、レィディオ・ヘッドみたいな世界があるんだよね
        だから、ああいう伝統的なものがつながってて、ココにいいものが入ってるっていう気がするんですけど

55 :ポール・キロックトニー:2008/07/20(日) 19:39:32 ID:???0
  ・最近、ポール・ウェラー関係を良く聞いています(足立区/男性)
    〜 The Jam / Start

  ・この番組は、日曜日の気の抜けた所に刺激を与えてくれますよね
   「イエローサブマリン音頭」まったく油断も隙もありません 久しぶりに聞いて、小躍りしてしまい
   ました そしたら嫁のヤツが「盆踊りで毎年聞いてるわよ」だって
   そういうことじゃなくてよー! この曲がFMのラジオから流れることに驚きはないのかい?
   克也さん、これからもFM/AMの枠を超えた選曲を(足立区/男性)
    〜 Jero / さらば恋人
     (小林)リクエストがくるんですよ! それから、ビートルズの精神にのっとった
        ビートルズは色んな冒険をして、何でもありっていうグループじゃないですか

(小林)ギリシャに島を買うって話ね あれは本によって、伝える所によって、色々(内容が)違うんだけど
   島を買うのには独特のきもちがあるみたいですよ 日本でも昔、さだまさしが瀬戸内海に島を買った
   ことがあるんですよ ビートルズはインタビューで言ってるのは、ビートルズと家族とスタッフの家族
   のための島で、学校も作る予定があったんだって 店や病院まで作る壮大な計画があったっていう
   ことらしいんだよね 事実ってのは、自分の気持ちの中で探すしかないですよね
   僕たちも、ビートルズの材料を提供しています

56 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:10:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年7月27日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(7月27日)
  ・1968年 (40年前)
    ビートルズ・ブティックが店じまいしています もちろんこれは、「アップル・ブティック」と呼ばれましたが
    ビートルズは、「アップル」という会社を立ち上げますよね これは最近の言葉でいうと、すべての色んなソフ
    トを作ろうじゃないかという会社です 映画を作ろう、音楽を作ろう、その中にはファッションも含まれていま
    した 彼らが気に入った「ザ・フール」というグループに任せて、彼らがデザインした服を売る店 まあ、彼ら
    は、サイケデリック・アーチストですから、サイケデリックな壁画ですとか、店の内装とか、みんなサイケデ
    リックに仕上げ、近所から苦情が出て、最終的には外側を白く塗っちゃうらしいんですが、このアップル・
    ブティックを40年前のきょう、閉めています この番組でも前に伝えたことがあるんですけど、閉める前の日の
    晩に、ジョンとヨーコが店にきて、まだ残ってる商品の内、良さそうなものを一切合切、片っ端から持っていった
    という話があったんですけど、いやー、ちゃっかりしてますね その赤字で店を閉めるわけですが、結局閉店
    当時の負債額は今のお金に直すと20億円あったといわれています 最終的にはビートルズが負担するわけですけど
    時代を象徴する、まるでテーマ曲のようにあつかわれていたナンバーをお届けしましょうか 一説にはジョンと
    ポールの最後の共同作業の曲だと言われているこの曲
    〜 The Beatles / All You Need is Love

57 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:27:20 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1967年、ヒッピーカルチャーがスタートしたこの夏、ビートルズの周りにおかしな男が現れた 自称発明家を
   名乗る、ギリシャから来たこの男はアレキシス・マーダス、通称マジック・アレックスと名乗っていた この
   マジック・アレックスは発明家として、ジョンやポールから多額の資金援助を受けていたのであるが、この発明
   の中にはレコーディングに使えるという目に見えない音を遮るカーテンや相手の名を呼ぶだけでつながる電話な
   ども含まれていた もちろん、どれも実現するわけがない ビートルズは詐欺にあったといっても、言い過ぎで
   はなかった このマジック・アレックスの口車に乗せられ、ジョンとポールが中心となって、ギリシャのエーゲ
   海に、六つの島を購入した ここはビートルズと仲間達のユートピアになるはずだったが、既に街での生活に慣
   れたメンバーにとって、それは退屈きわまりないものであったため、すぐに売却してしまった さらに、これに
   懲りないジョンは、すぐにアイルランドに島を購入したが、今度はすぐにヒッピー達にのっとられてしまった
   それにしてもこの頃のビートルズは、あきれるほど自分たちで自由になる金を持っていた 今の金額に換算する
   と、何百億円 いや、それ以上あったのかもしれない ビートルズの次なる趣味は、瞑想とマハリシ・マヘシュ
   ・ヨギであった しかし、ビートルズ・ファンならご存知のとおり、いずれこの熱も醒めてしまう 1968年2月
   から4月にかけてのインドへの修行旅行が、ビートルズにとってどんな意味をもたらしたか、それはさだかでは
   ない ただ一つ言えることは、ジョージをはじめ、メンバー四人が新しい人生の師と仰いだ教祖マハリシ・マヘ
   シュ・ヨギが、全くの俗物/インチキ野郎だと分かっただけでも成果があった ── とするしかない 何もかも
   手に入れたビートルズであったが、それでも頼るものが欲しかったのである
    〜 The Beatles / I'm a Loser
    〜 The Beatles / Two of Us

58 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:51:07 ID:???0
  ・のんびりとリラックスして過ごした、長く暑いインドでの日々 ビートルズは、多くの新曲を書き下ろした 
   すぐにレコーディングに取りかかれる曲は、10曲を超えていた それを録音している内に、また別の曲が生まれ
   そしてそれを録音する頃には、曲の数がアルバム一枚分を遥かに超えていた ビートルズはこうして、二枚組の
   アルバムを作ることになるのである 1968年の11月に発売されることになる、このダブル・アルバム「ザ・
   ビートルズ」、通称ホワイトアルバムのレコーディングセッションは、5月30日にEMIのアビーロード・スタジオ
   で始まった メンバーとスタッフはそれに先立って、ロンドンの郊外サリー州エッシャーにあるジョージのバン
   ガローハウスに集まり、何曲かのデモを4トラックのテープにプライベート録音しておいた 本番のレコーディング
   場所はもちろんアビーロード・スタジオであるが、ここの記録によると、ビートルズは5月20日から7月26日ま
   でのすべての週、第二スタジオを月曜日から金曜日までを連日午後二時半から深夜の12時まで予約で押さえている
   彼らが実際にこのスケジュールに従うのは7月に入ってからのことであるが、これだけスタジオを融通すること
   が許されていたという事実は、驚きに値する ビートルズが如何に、特別扱いされていたかを物語る記録である
   当時まだ新人だったピンク・フロイドなどは、彼らがどんな大切なレコーディングの最中であっても、「ビート
   ルズが使う」ということになると、すぐにスタジオを撤収しなくてはならなかった とにかく、ビートルズは別格
   完全に特別な超大物だったのである この時点では、まだタイトルも決まっていなかったアルバム「ザ・ビートルズ」
   は、ビートルズがスタートさせたアップル・レコードから発売する、初のアルバムだった 実態としては相変わらず
   EMIのパーラフォン・レーベルのカタログナンバーをつけて発売されていたとはいえ、あの有名なリンゴがデザイン
   されたレーベルで発売される最初のレコード ビートルズの4人にはそれまでと違う、何か特別なものがこみ上げて
   いたのである

59 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 18:51:56 ID:???0
    〜 The Beatles / Piggies (Anthology 3)
    〜 The Beatles / You Know My Name (Anthology 2)
     (小林)まったくクレイジーなナンバーですが、昔の大物ぶったり有名人ぶったりする人のセリフなんですよ
        例えば日本だったら「東京にきたら俺の所に着てよ 俺、電話番号誰でも知ってるから」みたいな
        セリフなんですよ だから、それを言いそうな人間になったり、馬鹿にしているわけですよね
        ビートルズが そういうことを知っておくと、ビートルズの皮肉や精神が、もっともっと分かるわけですが
        ちなみにこれは、アンソロジー2に入ってて、アルト・サックスはブライアン・ジョーンズ ──
        ストーンズの亡くなったブライアン・ジョーンズが吹いていたという
        そして、その前は「ピッギーズ」子豚ちゃんたちですね サリー州エッシャーで録音されたデモテープ
        が使われています


60 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:08:44 ID:???0
  ・アルバム「ザ・ビートルズ」通称ホワイトアルバムのレコーディングは、1968年5月30日から始まった それに
   先立ってロンドンの郊外にあるジョージのバンガローハウスで簡単なデモテープの録音も行われた ということは
   既に曲は多く出来上がっていたという証拠である まったくの不毛と思われたインドへの修行旅行も世俗から離れて
   作曲出来たという点では良い部分もあった 初日のレコーディングでは、ジョンの書いた曲「レボリューション」
   からスタートした 後に「レボリューション」というタイトルで、シングル「ヘイ・ジュード」のB面に収められ
   る方のバージョンは、実際には後で録音された二つ目のものである 最初のバージョンの方が、世間にお披露目さ
   れるのが後になってしまったため、ホワイトアルバムでは「レボリューション1」となっている さらにこのアル
   バムには、ジョンとヨーコのアヴァンギャルドなコラージュ作品「レボリューション9」もあり、ビートルズには
   めずらしく三つの「レボリューション」が存在し、ややこしいことになっている この日の「レボリューション1」
   のレコーディングでは、最終的に18テイクが録音された 17テイクまでは大体5分程度の長さであったが、最後の
   第18テイクだけは10分を超える熱演だった しかし後半は、ジョンとヨーコの耳障りで前衛的なジャムセッション
   大会となっている 大音量のハウリングノイズと、ヨーコの「You become naked (裸になりなさいよ)」などという
   わけの分からない絶叫の嵐 さすがにこの後半は使えないと判断され、10分以上がカットされ、4分の長さとなった
   しかし、ジョンはこのときのボーカルが気に入らなかった 後日、ジョンのボーカルとポールのベースがダビング
   されることになったのであるが、ジョンはどこかにけだるさや虚無感を表現したかった そこで、ジョンは考えた
   (別に、立って歌うことはないな 寝ころんで歌ったら、どうなるのかな)ジョンは、すぐに行動に移した
   寝ころんだり、背後にマイクを置いたり、数時間の実験の結果、ジョンも満足の「レボリューション1」が完成した
   のである

61 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:10:49 ID:???0
    〜 The Beatles / Revolution 1
    〜 The Beatles / And I Love Her
     (小林)この時代のテーマは、愛と平和 そして、革命ってのがあったんだけど 世の中をひっくり返そうなんて
        のが、反体制の動きであったんですけど、ジョンは(俺は仲間に入れないでくれ)そんなメッセージの歌

62 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:26:26 ID:???0
□リクエスト
  ・先日の放送で「イエロー・サブマリン音頭」がかかりましたね 小さい頃に聞いた覚えがあったのですが
   「おちゃらけたコミックソングだな」と子供心にも思ったものでした しかし、今回あらためて聞いてみると
   すごく良いじゃないですか 原曲の良さもさることながら、アレンジも素晴らしい 若造が生意気言ってすみません
   「イエロー・サブマリン音頭」で思い出したのが、この曲です 当時、レビューに「イエロー・サブマリン音頭のノリ」
   と評されていた曲を、知らないリスナーにも聞いてもらいたいと思います(千葉市花見川区/男性)
    〜 上々颱風 / Let it Be
     (小林)若いほど耳がいいから、正直に聞こえるんだよね 年寄りはろくなことはない

  ・イギリスのバンドで60年代を代表するのはビートルズ、70年代はツェッペリン、80年代になるとしぼるのは
   難しいと思います そんな中で私は前半でデフ・レパードを代表とします(千葉市/男性)
    〜 Def Leppard / Hysteria
     (小林)デフ・レパードねぇ〜

  ・父が築地のがんセンターに入院しています 僕はのんきなどら息子なので、展望室のような部屋から築地と東京湾
   を眺めています その眺めから連想する歌が、ビートルズに関係ないかもしれません 70年代にテレビで放送されて
   いた「特捜最前線」のエンディングテーマ「私だけの十字架」です(江戸川区/男性)
    〜 チリアーノ / 私だけの十字架

63 :ポール・キロックトニー:2008/07/27(日) 19:30:07 ID:???0
(小林)お話の方はホワイトアルバムのレコーディングですが、一説によると、本人たちもあまりやる気がなかったって、
   言われてますね それからジョージも「あれはビートルズのアルバムじゃないよ ジョージ・ハリソン・オーケストラ」
   ポール・マッカートニー・オーケストラ、ジョン・レノン・オーケストラ、それぞれのソロアルバムの合体したような
   ものだよ」みたいなことを言ってたりするんですよ これはでも、歴史の中で面白いアルバムであることは確かですね

64 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:10:35 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月3日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月3日)
  ・1963年 (45年前)
    もぅ〜、頭の中で45年も前っていうだけで、分かんなくなってしまいますが、まあともかく!
    実はビートルズが、274回も出演してきたリヴァプールのキャヴァーン・クラブ
    小さなクラブです 元はジャズクラブだった所、ビートルズのホームグラウンド
    そこにね、中学生の女の子たちが、274回もきてキャーキャー言ったところ
    きょうが最後の出演となってしまいました 思い起こせば、1961年1月に初めて出たときは
    ランチタイムショー、ギャラは15ポンド(数千円) そして、最後の今日は300ポンド(10数万円)
    になっていました ビートルズは、なぜキャヴァーン・クラブに出なくなったのか?
    これは当たり前です ビートルズがイギリスで一番のグループになってしまったからなんです
    だから、そんな小さな小屋に出ている場合じゃないということで
    ビートルズの最初のアルバムってのはね、プロデューサーのジョージ・マーティンが
    「ビートルズはライブがスゴい、客の前でやらしたらスゴい」ということで、キャヴァーン・クラブで
    ライブ録音して、それをそのまま出そうとしたんだけど、マーティンが行ったら(あまりの)音の悪さに
    「ここじゃ使えない」とあきらめちゃいました だから、最初のアルバムはライブと同じような感覚で
    「せーの」ということで12時間で完成させていますね そういうことで、45年前のきょうイギリスで1位
    13週間1位を走っていたのがこの曲なんです!
    〜 The Beatles / I Saw Her Standing There

65 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:27:38 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年5月30日木曜日 ── ビートルズの新しいアルバムのレコーディングが始まった この前の年には
   ビートルズ史上、いやロック史上、いや20世紀の音楽史上最大の傑作とまで言われたあの「サージャント〜」
   のアルバムを発表している 果たしてビートルズの才能はもはやこれまでかと、意地の悪い見方をする評論家
   もたくさんいた しかし、ビートルズは彼らのロックに対する限界を感じていたどころか、あふれんばかりの 
   想像力はとどまるところを知らなかった ビートルズは、インドへの修行旅行への間も曲を書き溜めていた
   レコーディングに入ることが決まった時点で、曲の数は10を優に超えていた 4人のビートルズたちはレコーディング
   に先駆けて、ジョージとパティの愛の巣とも言える、ロンドン郊外エシャーにあるしゃれたバンガローハウスに
   集まり、デモテープを録音している この時の記録を確認するに、既に曲も詩も完成していて、その出来は素晴らしい
   後に良く言われる「あの頃のビートルズはスタジオの中で曲を書いていたようなものだ」という俗説は
   誤りであることが分かる プライベートでは女性関係をはじめ、いろいろと問題があったビートルズであるが
   こと音楽のこととなると、かなりの勤勉さを見せていた ポールは「サージャント〜」で見せたプロデュース能力に
   さらに磨きをかけ ジョンは「〜ウォルラス」でたどり着いた作曲の境地にいた ジョージはインド音楽からの
   影響を自分のスタイルへと変貌させたばかりか、時のスーパーギタリスト、エリック・クラプトンに代表される
   ブルージーなプレイを取り入れ、演奏家としての成長を見せていた そして、リンゴ・スターまでもが、他の
   メンバーに触発され、独自の世界を築き上げていた 4人の成長性は、この時ピークを迎えていたといっても
   過言ではなかったのである

66 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:28:53 ID:???0
    〜 The Beatles / Don't Pass Me By
    〜 The Beatles / Junk (Anthology 3)
     (小林)これは「ジャンク」という曲で、ジョージのバンガローハウスで録音されたものです
        デモテープもありがたいものだねー ビートルズの場合は
        その前は、リンゴが作詞作曲して歌っている曲 よく頭にイメージを入れておいてね
        話は続きます

67 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:49:25 ID:???0
  ・通称「ホワイトアルバム」として知られる、アルバム「ザ・ビートルズ」に収録された「Don't Pass Me By」は
   リンゴ・スターが初めて作詞と作曲を手がけた曲である この曲以前にリンゴが作ったのは1965年のアルバム
   「ラバーソウル」に収録された「What Goes On」という曲 クレジットは、ジョン・ポール・リンゴ3人の共作
   ということになっているが、実際にはそのほとんどをジョンが書いて、1962年の時点でほぼ完成されていて
   リンゴが書いたのは、歌詞の一行程度 そういった具合に、作曲家としては地味過ぎる地味であったリンゴであるが
   元々C&Wやアメリカのスタンダードが大好きだったこともあり、歌うことには欲があった 「Don't Pass Me By」も
   アルバムに収録される四年前の1964年のインタビューで、はっきりと曲名まで添えて、「Don't Pass Me Byという曲
   を今作曲しているんだ」と発言している このリンゴの作曲家デビュー作品はアルバムのレコーディング順番としは
   ジョンの「レボリューション1」の次、二曲目にビートルズとして取りかかることとなった それだけ期待されて
   いたのか はたまた「軽くいっちょ行ってみるか」ということであったのか、それは分からない リンゴが念願を
   果たすことが出来ると、次はジョージの番である それまでのジョージの扱いは、あくまでもバンドのリードギタリスト
   作曲家・シンガーとしては、ジョンとポールの陰に完全に隠れていた どんなにジョージ本人に良い曲が出来たと
   思っても、それをアルバムに採用するかどうかを決めるのは、ジョンとポール どうしても、アルバム中1曲か2曲
   に甘んじていた そんな中、インドへの修行旅行をはさんで、ジョージには今までにないインスピレーションがわいてきた

68 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 18:50:02 ID:???0
   この頃のジョージは、シタール音楽からすっかり遠ざかっていたこともあり、インド音楽に傾倒するわけでも、奇を
   てらった方向に行くわけでもなく、時代の流れにも逆らわず、ごく自然に曲が出来たのである ジョージは
   久しぶりに帰ったリヴァプールで、実家の本棚からなにげなく取り出した本の中に「Gently Weeps」という言葉を
   見つけた この言葉を元に作った曲を持って、ジョージはロンドンに戻り、ソロバージョンを録音した
   自信満々に皆に聞かせたが、ジョンとポールの反応はさっぱり この曲は、このままお蔵入りになる運命かと思われた
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
    〜 The Beatles / I'll Be Back
     (小林)「While My Guitar Gently Weeps」は、ジョージがデモ風に録ったやつで、ジョンやポールになった気分で
        聞いた反応はどうでしょう (どうも暗いなー)とか(盛り上がらないなー)という感じでした?
        だから、ジョンやポールは、反対したわけですよ


69 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:10:16 ID:???0
  ・アルバム「ザ・ビートルズ」、通称「ホワイトアルバム」のレコーディングは、1968年5月30日木曜日に始まり
   夏が終わっても、まだ続行していた このアルバムのために、ジョージは故郷リヴァプールの実家で、新曲を書いた
   タイトルは「While My Guitar Gently Weeps」、渾身の一曲であった しかし、デモ・バージョンをを録り終えて
   皆に聞かせたが、ジョンとポールから合格点をもらうことは出来なかった (まずい、このままではボツになってしまう)
   そう思ったジョージは、ある作戦を考えた それは、ビートルズのメンバーだけではなく、誰もがはっとするような
   ゲスト・プレイヤーを招くことであった この頃ビートルズのレコーディング現場にゲストが現れて演奏することは
   特に珍しいことでもなかった ゲストが登場するとなると、みんな気を使って、その作品を作ったメンバーを持ち上げてくれる
   傾向にあった つまりジョージは、ゲストを提案することによって、なし崩し的にこの「While My Guitar Gently Weeps」を
   強引にアルバムに収録させようとしたのである そして、レコーディングの当日、ジョージはある友人のミュージシャンに
   スタジオまで車で送ってもらえないかと頼んだ そして、その車の中で「今日のレコーディングに、ゲストで参加してくれ
   ないか」と打診したのである その、ギタリストの友人は答えた 「そりゃ、無理だよ いまだかつて、ビートルズの
   参加したギタリストなんていないだろ? メンバーも世間も許してくれるわけがない」しかし、ジョージの説得に
   スタジオに近づくにつれ、その友人も抵抗をやめた 彼は、ジョージに連れられ、第2スタジオに入る時も、まだ
   招かれざる客の気分が抜けずにいた 結局彼は、その日にスタジオに7時間いたが、その日ジョンは現れなかった
   リンゴは2週間ほど前に、ポールと口論し、一時的にビートルズを離れていて、バンドに戻ったばかりであった
   ポールは、そんなリンゴに気を使っておとなしかった そんな、どんよりとした空気の中、ジョージの友人は
   冴え渡るリードギターで、「While My Guitar Gently Weeps」という曲に、新たな命を与えた
   素晴らしいプレイを聞かせた友人の名は、そう エリック・クラプトンであった

70 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:11:28 ID:???0
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
    〜 The Beatles / Ticket to Ride
     (小林)さっきの話から、デモ・バージョンとエリック・クラプトンが入ったバージョンを聞いて、どうですか?
        すーごいですね やっぱ、少し感動します

71 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:28:35 ID:???0
□リクエスト
  ・ポールやジョンの女性関係の話を、興味深く聞いています
   シンシアを前に、勝ち誇ったようなヨーコの姿が目に浮かびました(土浦市/男性)
    〜 Cream / White Room

  ・私がビートルズを初めて知ったのは、1966年小学生の時、ビートルズが来日して、武道館コンサートを開催した時です
   当時の映像を見ると、男は背広姿に七三分け、女性も個性のないかしこまった姿で、コンサートに出かけたみたいです
   しかし、不思議なもので、ビートルズの音楽に触れると、老若男女を問わずに浸透してしまう いったい、どうして
   なんでしょうか? 私に言えることは、英語は分からなくても、彼らの感情が伝わる以心伝心を感じさせるのが
   ビートルズを表しているは、言うまでもありません(下妻市/男性)
    〜 The Beatles / Rock'n Roll Music

  ・ジェロがカバーした堺正章の「さらば恋人」をかけましたね 大好きな彼が15年ぶりに発表した新曲「忘れ物」をお願いします
   スパイダーズの頃はあまりよく知らないのですが、ビートルズの影響もあったように思います(目黒区/男性)
    〜 堺正章 / 忘れ物
     (小林)おおありなんですよ、66年のビートルズのコンサートの前座に、実はスパイダーズは誘われましたが
        断っています かまやつひろしの話によると、当時スパイダーズは、ビートルズの影響をモロに受けていた
        種を明かすようで恥ずかしかったので、我々から断った..そうです

72 :ポール・キロックトニー:2008/08/03(日) 19:31:23 ID:???0
(小林)ま、ビートルズは、ジョンの天才、ポールの天才 天才がいたわけですが、ビートルズがグループとしてぎくしゃく
   する頃には、他の二人も相当自信を持って作曲はするわ、大変な意気込みを持ってたという話ですよ
   これが、グループとしての成長なんですよね その頃ビートルズは、危機を迎えるようになっていったというわけです

73 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:13:09 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月10日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月10日)
  ・1964年 (44年前)
    アメリカの小さなレコード会社のVee Jayというところが、今まで出して売れなかったビートルズの4枚のシングルを
    改めて出しました 4枚のシングルというのは「Do You Want to Know a Secret」「Please Please Me」「Love Me Do」
    「Twist and Shout」 小さなレコード会社から出したもんだから、アメリカでは売れなかったんだよねー
    面白い話だよねー というのもね、ビートルズは元々EMIじゃないですか、イギリスでは そして、アメリカでは
    キャピトルと組んでいたんです で、EMIがキャピトルにイギリスでビートルズがスゴいことになってるからアメリカでも
    出してくれと頼んだんですが、キャピトルは時代が読めなかった ビートルズと聞いて、ピンとくる人がいなかった
    ダメですねー 時代を読めないと会社も危なくなってしまいますからね こんなことがあったんです ビートルズの偉さ
    が分からなかった だから、しょうがないからEMIは、アメリカの小さなレコード会社にビートルズの販売権みたいなものを
    与えて、その結果全然売れなくて、ところがビートルズは44年前の今日、アメリカで大々的なツアーをやってるんです
    どこ行っても本当に狂気の沙汰 ビートルズはスゴいんです そこで、昔のヤツを改めて出したという話なんですけどね
    いやー、時代を読めないってのはしょうがないですよね アメリカは、ロックはダメだと思ってたんだ、この頃
    で、この日全米の一位はビートルズの「A Hard Day's Night」だったんです どこの都市に行っても、スゴい騒ぎですから
    世界一のグループになってしまったんです では、4枚のうちの1枚が「Twist and Shout」ですが、へそ曲がりをして
    そのB面をかけます あまり有名じゃないですけど、マッカートニー&レノンって感じがします
    〜 The Beatles / There's a Place

74 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:26:12 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年9月6日 ── ジョージの作品「While〜」で、ビートルズは初めてギタリストをゲストに迎えた そのギタリストの名は
   エリック・クラプトン ジョージとエリックは、1964年にビートルズがクリスマスショーを1ヶ月もシリーズで行った
   時以来の付き合い エリックが参加していたヤードバーズがビートルズの前座という役割だったのである どちらかというと
   古いロックンロールやカントリーなどに影響を受けたジョージにとって、エリックの弾くブルースギターは衝撃だった
   アンプの音も大きく、むせび泣くような強烈なビブラートもロンドンではまだ誰も会得していない新境地だった 1968年当時
   事実上解散状態にあった伝説のトリオバンド「クリーム」のメンバーだった クリームはブルースをベースにしたスタイルを得意とし
   3人の卓越したテクニックを持ったミュージシャンによるインプロビゼーション ── 即興演奏で人気があった 時代は3分間の
   ロックンロールからいつ終わるかも分からないような長く大音量へのスタイルへと流行を変えていたのである しかし
   エリックは観客の要求に答えるがごとく、どんどんアンプが積み重ねられ、元の曲が分からないほど長時間の演奏に、ほとほと
   疲れきってきた あるステージで、エリックは延焼中にトイレに行きたくなり、何気なしに袖に引っ込み、用を足し、再び
   ステージ上に戻った しかし、ベースのジャック・ブルース、ドラムスのジンジャー・ベイカーはそのことに全く気づかす
   演奏を続けていた つまり、二人とも自分のプレイがすべてであり、エリックのギターなど聞いていなかったのである
   エリックは傷ついてしまった 自分があれほど道を究めようとしたブルースがおかしな方向に向かっている これでは
   ギターを弾く意味がない さらに、エリックはジョージなどの影響もあり、ギタリストとしてだけではなく、曲を書き
   歌を歌うことにも、興味がシフトしていた 彼がクリームを離れる日は、そう遠いことではなかったのである

75 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:31:35 ID:???0
    〜 Cream / Sunshine of Your Love
    〜 The Beatles / Here Comes The Sun
     (小林)ビートルズのというよりは、ジョージ・ハリスンの〜といった方が良いかもしれません
        これは、エリックの家で書いた曲であります

76 :ホワイトアルバムさん:2008/08/10(日) 18:46:43 ID:???O
乙です。いつも楽しく読ませてもらっています。
m(_ _)m

77 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:47:39 ID:???0
>>76
 どうも

  ・ビートルズのレコーディングセッションに参加した最初で最後の男、エリック・クラプトン 彼は、ジョージの親友でもあった
   それぞれのバンド、ビートルズとクリームの活動の中での悩みを打ち明け、相談し合ったり、お互いの好きなレコードを
   持ち寄ったりする内に、友情は次第に深まって行った 二人は、女性の趣味も似ていたと言われている それを証明する事実として
   エリックはジョージの妻パティの妹ポーラ・ボイドと三ヶ月間だけではあるが、恋人同士だったことがある もちろん
   エリックは姉の方、パティと結婚する この、ジョージからパティを略奪してしまうことは、ファンの間ではあまりに
   有名なことである ジョージが最初に正式にセッションをしたのは、ホワイトアルバムに収録されることになる「While〜」が
   最初ではない インドから帰って間もない1968年6月、ジョージはメリー・ホプキンの「Those〜」、ビートルズの「Hey Jude」
   に続く、アップル・レコード第3弾目のプロデュースに取りかかった シンガーの名は、ジャッキー・ロマックス 曲は
   ジョージが書き下ろした「サワー・ミルク・シー」である ジョージは、宗教関係の本に影響されて、この曲を書き上げていた
   レコーディングはジョージ曰く「最高のジャムセッション」であった 参加したミュージシャンは、ジョンをのぞくビートルズの
   三人に黒人キーボード奏者のビリー・プレストン、そして、ロンドンではゴッドと歌われたエリック・クラプトン 出来は良かった
   のであるが、シングルとしては少しシブすぎたというのが一般的な評価で、「Hey Jude」や「Those〜」のようにラジオで何度も
   オンエアされるまでには至らなかった つまり、ヒットしなかった しかし、ヒットしなかったとは言え、ジョージもエリックも
   このセッションからは大きな満足感を得ていた 特にエリックのご機嫌ぶりは、周りのみんなもびっくりするほどであった
   エリックはなんと、愛用のギブソンギターをジャッキー・ロマックスにプレゼントしてしまったのである こうして、エリックと
   ジョージの友情は日増しに深まって行くのであった

78 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 18:53:24 ID:???0
    〜 Jackie Lomax / Sour Milk Sea
    〜 The Beatles / Come and Get it (Anthology 3)
     (小林)これは、元々ポールがプロデュースしたバッドフィンガーのための曲だったんですが、アンソロジー3の中に入っています
        アンソロジーシリーズは、結構ビートルズの正体を知るために助かる、3つのアルバムですね
        そして、その前はバックの演奏がスゴかったでしょ?

79 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:07:32 ID:???0
  ・ジョージとエリックの友情は、日増しに深いものになって行った ジョージがプロシュースを手がけたジャッキー・ロマックスの
   レコーディングにエリックは二つ返事で参加し、さらにジョージが初めて取り組む映画のサントラ「ワンダーウォール」の時も
   エリックはエディ・クレイトンという変名を使い、レコード会社にも内緒でジョージをサポートした これにお返しするつもりで
   ジョージはエリックからの仕事を引き受けた 既に解散が決まっているスーパートリオ・グループ「クリーム」は、ファイナル
   アルバム「グッバイ・クリーム」を発売することが決定していた このアルバムの内容の大半は、ライブアルバム そして
   3曲だけ、メンバーそれぞれが1曲ずつ新曲を収録しようという企画だった ところが、ベースのジャック・ブルース、ドラムスの
   ジンジャー・ベイカーに比べ、音楽的教育を受けていないエリックはほとんど作曲の経験がない そこで、ジョージに相談に
   行ったというわけである もちろん、ジョージは協力を買って出た ジョージは語っている「僕とエリックは、音楽やファッション
   そして女の子の趣味が似ているだけでなく、二人ともリーダータイプじゃないっていうところまで同じなんだ だから、きっと
   仲良くなれたんだと思うよ」 二人が共作した曲は、最初何もタイトルが付けられていなかった ただ、ジョージが譜面に
   (曲の中間部)という意味で「ブリッジ」と書いていた それをエリックが見間違えてしまった 「ジョージ、これカッコいいから
   曲のタイトルにしようよ、これ良いじゃない“バッジ”ってさ」 曲名の由来もさることながら、レコーディングの結果は
   最高の出来であった いかにもジョージらしい憂いに満ちた曲の中に、エリックのブルージーで冴えたギターワークが入り込んでくる
   それも、出しゃばりすぎずに あくまでもさりげなく ビートルズでは絶対に出来ない、大人なロックサウンドに、ジョージは
   満足だった
    〜 Cream / Badge

80 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:34:19 ID:???0
□リクエスト
  ・先日、妹に久々に会い、音楽の話になりました 番組の話をしたら、妹も聞いているとのこと ピアノをしている妹は
   ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジが好きだそうです(守谷市/男性)
    〜 Bruce Hornsby & The Range / The Way it is
     (小林)グラミー賞の新人賞をとる曲ですけど、さっきのエリックとジョージの話じゃないけど、この頃ブルースの
        親友というか後輩っぽい...ブルースを後輩と思っていたヒューイ・ルイスとものすごく仲が良くて
        レコーディングとかレコード契約とか、色々教えて、プロデュースとまでは行かないけど面倒を見て
        ブルースはピアノがスゴいっていうことで、ニューエイジ系のレーベルから誘いがあったんだけど、それ全部
        断って、ロックの道に入ってくる ブルースは、バンドの演奏しっかりしてるけど、ボーカルはボブ・ディランに
        影響を受けている そんな話をしました 人生、そんなもんだよという内容になっていました

  ・単身赴任も、もうすぐ2年ほどになります 北九州にいる息子がエレキをはじめたらしく、ビートルズの曲を良く聴いているようです
   こゆい遺伝子のせいかなと、とても嬉しいです リクエストは、高校生の頃良く聞いていたクラトゥーというバンドで
   「謎の宇宙船」という曲をお願いします 隠れたビートルズの曲といわれていましたが、実はオランダのバンドでした(船橋市/男性)
    〜 Klaatu / Calling Occupants of Interplanetary Craft (The Recognised Anthem ...)
     (小林)リクエストは、アルバムの4曲目なんですが、このスタジオにその曲がないので1曲目をかけます

81 :ポール・キロックトニー:2008/08/10(日) 19:36:44 ID:???0
  ・最近、島田紳介氏が一発屋のお笑い芸人をテレビに出しています 音楽会の一発屋で思い出すのがザ・ナックです
   ビートルズの再来といわれ、彼らの音楽性は評価されていましたが、デビュー曲以外はヒットに恵まれず、典型的な一発屋に
   なっています 間奏のギターがカッコいい(佐野市/男性)
    〜 The Knack / My Sharona
     (小林)本当にそうですよね、80年代のビートルズといわれたんですよ
        この人達はね、中ヒットがあったんですよ でも、「マイ・シャローナ」があまりにも大きかったために一発屋と
        言われてるんです a-haにもヒットがあったしね なんか、一発屋って呼び名は可哀想だね

(小林)ジョージとエリックの友情、これはもう伝説みたいになってますね

82 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:13:38 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月17日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月17日)
  ・1962年 (46年前)
    まだ、ビートルズは有名じゃないんですけど、リバプールのキャヴァーン・クラブで、ビートルズはコンサートをやっています
    しかし、ドラマーのピート・ベスト、最後のパフォーマンスというのが、46年前のきょう
    もともとピート・ベストという人は、ビートルズがハンブルグに行くことになって、ドラムスがいなかったわけですね
    で、きてもらえないか?ということで、ピート・ベストが加わります この番組でもお伝えしましたが、ピートのお母さん
    モナは、息子が有名になることに熱心で、自宅の地下を改造して、カスヴァ・クラブというクラブにしてしまった
    もちろん、昼間ティーン・エイジャーが遊びに来れるように、酒を飲ませるクラブじゃなくて、そこでビートルズを演奏させた
    っていう、子供のためにね そして、マネージメントみたいなこともやってました しかし、46年前の今日
    正式に言うと、その前の日(8月16日)、マネージャーのブライアンが事務所にピートを呼んで、クビを宣告します
    後2日ライブが残ってるからやってよと しかし、なぜピートは首になったのか? いろいろな説があるんですよ
    ハンサムでモップヘアーにしなかったとか リンゴとジョージが仲が良くて、リンゴを加入させたかったとか
    ジョージ・マーティンがピートのプレイを気に入らなかったとか どれも、当てはまらないんですよ
    僕はどちらかというと、その頃ライブをやると、一番女の子の声援が多かったのがピート・ベスト(ハンサムだから)
    二番目がポール ポールはピートを焼いて、ポールの焼きもちというのが正確なところじゃないかと思うんですけど
    では、ピートのプレイを聞きましょう
    〜 The Beatles / Love Me Do (Anthology 1)

    これ聞くと、ポールが(自分より演奏下手なくせにモテやがって!)と思ったんじゃないかという気がしてきます

83 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:32:57 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年9月6日 ── ビートルズは「While My Guitar Gently Weeps」というジョージの作品で、エリック・クラプトンを
   ゲストに迎えた レコーディングの寸前までボツになりそうだったこの曲を見事生き返らせてくれたのは、他ならぬエリックであった
   「ビートルズにゲストで入って、ギターソロを弾くなんてあり得ないよ!」 最初エリックは、ジョージの頼みを断固として
   拒み続けた いくらジョージが自分に取って大切な親友であっても、いくらエリックがロックシーンで神とたたえられている
   最高のギタリストだとしても、ビートルズは全く違う存在 ロックユニットとして、完全なる別格だった しかし、レコーディング
   の当日、ジョージのあまりに熱心な説得に、遂にエリックは折れてしまうのである 「よし、ジョージ わかったよ 僕が君の曲で
   ギターを弾かせてもらう ただし、僕のスタイルはブルースだってわかってるよね そのブルースがジョージの曲に合うかどうか
   やってみないと分からない それでも良いって言うことだったら引き受けるよ」ジョージは答えた「君は別に、ビートルズに
   合わせることはない 僕は、僕の曲の中で、君が一番得意とするブルースを弾いてくれさえすれば、それでいいんだよ それと
   スタジオに入れば良くわかると思うけど、今回のアルバムはそれぞれの曲を書いた本人が責任を持ってプロデュースするということ
   になっている だから、今日の曲のプロデューサーは僕だってわけ 何も心配することはないんだよ」 心を決めたエリックは
   一旦自宅に戻って、愛用のギター、ギブソン・レスポールを車に積んだ 最高の音色を奏でる一本である そして、アビーロード
   スタジオに入ると、ジョージが言っていたことが分かった そこには、ポールとリンゴがいたが、どこかよそよそしい雰囲気である
   おまけに、ジョンはくる予定がないという エリックはココで、本当に自分のブルースが弾けるのか、一抹の不安を感じていた

84 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:33:42 ID:???0
    〜 John Mayall & The Bluesbreakers Feat. Eric Clapton / All Your Love
    〜 The Beatles / Birthday
     (小林)この「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーぎゃぎゃん」というギターは、エリック・クラプトンが演ってるんじゃないか
        という説もちょっとあったりします

85 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:51:57 ID:???0
  ・エリック・クラプトンが参加したジョージの曲「While〜」は最高の出来になった それまでも「Taxman」を始めとする
   ジョージの曲は、ビートルズファンの間でも評価は高かった ジョンとポールによる厳しい検閲をくぐり抜けてきた楽曲だけに
   出来がいいのは当然という向きもあるが、その検閲のせいで、いつも辛い思いをしていたのは、他ならぬジョージであった
   今回のレコーディングセッションは、エリックの親友ジョージとの仕事である 普通ならば、リラックスして楽しんで演奏する
   ところであるが、これがビートルズのアルバムに入るとなると話が違ってくる 当時、ビートルズはとにかく別格であった
   曲も歌もピカイチだし、アレンジの斬新さ、アイデアの豊富さにおいても、他に対抗できるバンドはどこにもいなかった
   テクニックでいったら、エリックが在籍するクリームの方が数段上かもしれない しかし、ロックファンを感動させる要因は
   テクニックがすべてではないことをエリックは既に悟りきっていた 言い換えるならば、テクニック至上主義のクリームに嫌気がさし
   今すぐにでも脱退したいというのが、この頃のエリックの本音だったのである そんなエリックは、ビートルズのレコーディング
   の現場にグループとしてのチームワークを期待していた しかし、現実は違った この頃のビートルズは、もはやグループと
   いうより、「ビートルズ」というブランドを掲げて、アルバムを制作し発表するという一種の事業体のようなものになっていて
   かつてのロックバンドとしてのパワーはなくなっていた 四人がそれぞれ好き勝手なことをやっていたのである その事実を
   証明する出来事として、この日何時間待ってもジョンはスタジオに姿を見せなかった それでも、いくつかの曲は十分に成り立って
   いたことに、エリックはびっくりしてしまった エリックは、リードギタリストとしての自分のプレイには、ある程度の自信を
   持ってはいたが、リズムギタリストとしては、ジョンの魂と感性で弾くスタイルに一目置いていただけに、この日ジョンに
   会えなかったのは残念だった それだけ、ビートルズというグループは演奏家としても、魅力的な集団であったということを
   証明するエピソードの一つである

86 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 18:53:39 ID:???0
    〜 The Dirty Mac / Yer Blues
    〜 The Beatles / Oh! Darling
     (小林)ジョンもポールも叫んでおります 最初はダーティー・マックと名乗っていますが、ジョン・レノンの「ヤー・ブルース」
        ローリング・ストーンズの「ロックンロール・サーカス」の中に入っています

87 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:06:49 ID:???0
  ・ジョージはエリックに参加してもらったことにより、すっかり自信をつけていた 普通に考えると、自分よりもうまいギタリストを
   連れて来たのであるから、リードギタリストとしての自分の格を下げたことにもなりかねないのであるが、ジョージは違った
   ジョージはギタリストしてよりもボーカリスト、そしてソングライターとしての自分をもっと評価して欲しかったのである さらに
   自分の曲に関してジョージ・マーティンやポールではなく、自分できっちりプロデュースするという自我にも目覚め始めていた
   そうなってくると、ギターソロを誰が弾いたかなんて二の次である 話題になってくれればそれでいいし、何より作品としての完成度
   の方がこの時点でのジョージにとっては大切なことであった こうしてジョージは、アーチストとして成長していったのであるが
   エリックが「While〜」に参加してくれた後に、エリックに敬意を表して、あるいはからかい半分で捧げた曲がある その曲のタイトル
   は「サボイ・トラッフル」 このナンバーの歌詞は、当時会社通いをやっていたエリックのことがモチーフになっている ジョージは
   語っている「エリックは本当に甘いものが好きでね ちょうど歯を治したばかりだったんだ それがものすごく大変な治療で時間も
   長くかかったらしいんだけど、その歯医者に言われたらしいんだよ『もうこれで甘いものはやめるように』って サボイ・トラッフル
   というのはメチャ甘いお菓子のことだけど、エリックに言い聞かせてるんだ このサボイ・トラッフルで、君の歯は全滅だよって」
   盛大なサキソフォンセクションとファンキーなリズムの裏には、こういう話があったのである もちろん、エリックだけではなく
   チョコレートや甘いもの中毒で悩みを抱えた世界中の人々に向けたひねりを利かせた、ジョージからのメッセージソングだったのである
    〜 The Beatles / Savoy Truffle (番組の途中ですが、印旛に大雨警報、東葛飾に洪水警報が発令されました)
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

88 :88:2008/08/17(日) 19:14:58 ID:???0
88

89 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:24:06 ID:???0
□リクエスト
  ・自分がビートルズと出会ったのは某テレビ局の番組でジーンズのCMで流れていた「She Loves You」です
   小学校六年生でビートルズに夢中になり、中学の三年間ビートルズ仲間とレコードの貸し借り、情報交換などビートルズ三昧の
   中学生活を送りました 部活はもちろん、帰宅部だったことは言うまでもありません(越谷市/男性)
    〜 The Beatles / She Loves You

  ・ラジオで聞いたことがない、ビートルズの影響を受けているグループのデビュー曲をお願いします(足立区/男性)
    〜 THE YELLOW MONKEY / Romantist Taste
     (小林)音というか、考え方がビートルズの影響をモロ受けているグループであります

  ・僕はガロが好きで最近よく聞いてるんですが、たしかガロの曲で松本隆さんが詩を書かれた「ビートルズはもう聞かない」という
   曲があります 歌謡曲っぽいマイナーな曲なんですが、イントロのピアノがとても好きで、最後まで聞き入ってしまいます(柏市/男性)
    〜 ガロ / ビートルズはもう聞かない

90 :ポール・キロックトニー:2008/08/17(日) 19:26:07 ID:???0
(小林)ポールにいびられていたジョージが、それなら世界一うまいギタリストを連れて行ってやろうと、エリック・クラプトンを連れてくる
   だけど、よくポールやジョンは、エリック・クラプトンを入れたよね ま、しょうがないかと入れたんだけど、クレジットは書かなかった
   ここら辺は話としては面白いんですけど まだまだ話は続きます

91 :ホワイトアルバムさん:2008/08/19(火) 23:50:36 ID:???0
にしても小林克也は
・ポールの悪評はそのまま反応せず
・ジョンの悪評はフォローする

随分と露骨だね

92 :ホワイトアルバムさん:2008/08/19(火) 23:52:54 ID:???0
そうでもないよ。

93 :ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 00:05:57 ID:???0
そうでもないよ

94 :ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:46:16 ID:???0
>>91
同感



95 :ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:51:48 ID:???0
遺憾

96 :ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 01:58:30 ID:???0
この番組で話してたジョンとブリジット・バルドーの件も綺麗事で終わってるw
事実はジョンの側近が暴露したw

97 :ホワイトアルバムさん:2008/08/20(水) 15:22:44 ID:???i
この番組におけるメンバーのイメージ

ジョン イッちゃった人
ポール 天才、信じられるのは金だけ
ジョージ いじめられっ子
リンゴ ?
ブライアン 金の計算に弱いホモ

98 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:17:02 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月24日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月24日)
  ・1969年 (39年前)
    もうビートルズはバラバラの頃ですが、朝ジョンが「コールド・ターキー」を書いて、昼「コールド・ターキー」を
    リハーサルやって、夜「コールド・ターキー」を録音するとあります つまり、朝書いて、昼には練習やって、夜には
    録音していたという 正式な録音は、もう少し後になるんですけど ジョン・レノンは、そうなんです 思い立ったら
    さっとやる ただ、やんない時は全然やんなかったりするんですが この「コールド・ターキー ── 冷たい七面鳥」
    ってのは何かというと、麻薬中毒の状態のことを、死んじゃった、冷たくなった七面鳥(に例えて言う)面白い言い方
    ですが、これはもう(世間では)有名なフレーズなんですよ だから、この曲は多くのラジオ局で「これは麻薬の曲だろ」
    という事で放送禁止になるわけです 当たり前の事です イギリスでは最高14位、アメリカでは最高30位 ジョンの
    曲としては、全然ヒットしないわけですよ で、ジョンは頭に着てしまうわけ (何で俺の曲がヒットしないんだ)って
    わけで頭に着て、1965年にエリザベス女王からもらったMBE勲章を、(正式な)理由はイギリスのナイジェリア問題へ
    頭を突っ込んでけしからん!ってことだったんだけど、本音は「コールド・ターキー」がヒットしなかったっていう事で
    勲章を返したという有名な話があります で、これは9月に出来たんですが、その頃の9月カナダのロックンロール
    フェスティバルで、ジョンがいきなりエリック・クラプトンたちを連れて行って参加するんですよ そこで、(この曲が)
    演奏されています スタジオでも、エリック・クラプトンが入っています 泣きのギターを弾いています これ結構いいですよ
    〜 Plastic Ono Band / Cold Turkey

    エリック・クラプトンが入ってるという事で、かなり救われてる点があります

99 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:30:55 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年5月から始まったビートルズのニューアルバム「ザ・ビートルズ」 ── 通称ホワイトアルバムのレコーディングは
   順調に進んでいた 最初はジョンが書いた「レボリューション1」、そしてリンゴの作曲家デビュー作「ドント・パス・
   ミー・バイ」、次はジョンとヨーコの前衛的な作品「レボリューション9」、さらにポールの「ブラックバード」、とにかく
   多くの曲が出来たせいでレコーディングは土日を除いてほぼ休みなく行われた このアルバムのために用意された曲は
   インドへの修行旅行の間に書かれたものが多いと言われている ビートルズはいったい、どんな風にこの修行旅行の時間を
   過ごしていたのか 時間を少し戻してみる事にしよう
   1967年8月 ── イギリス・ウェールズのバンゴアで行われた、マハリシ・マヘシュ・ヨギのセミナーに、ビートルズは
   4人全員で参加した もっとも熱心だったのは、ジョージと妻のパティ このセミナー以来、マハリシの人気と信者の数は
   急上昇した 元々インド哲学や超越瞑想などに興味がなかったとしても、とにかくビートルズにあやかりたいという若者連中
   は、後を絶たなかった そのビートルズ自体セミナーに参加してからというもの、ヒマラヤの緑豊かな山麓にあるマハリシの
   ヨガ・アシュラムつまり進学の大学にこもって、共に教えを請いたいという希望と計画はずっと消えてはいなかった 本来
   ならば、マネージャーのブライアン・エプスタインの葬儀が終わってすぐに出かけたいところだったが、ビートルズによる
   初めての映像作品「マジカル・ミステリー・ツアー」のスケジュールが詰まっていて、計画は2度にわたってお流れになって
   しまった しかし、そんな中ジョージは、ずっと手紙や電話で、マハリシとの連絡は絶やさないようにしていた さらに
   リンゴは、日帰りでスウェーデンに滞在しているマハリシに会いに行き、ジョンもマハリシを伴い、パリでのインド音楽家
   ラビ・シャンカールのステージを見ている ビートルズのインド音楽への憧れは、日増しに大きなものへなっていったので
   ある
    〜 The Beatles / Within You Without You
     (小林)もろ、インドいっちゃってる曲ですよ


100 :ホワイトアルバムさん:2008/08/24(日) 18:44:37 ID:???0
マハリシタンキター!!!

101 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:49:19 ID:???0
  ・1967年8月 ── イギリス・ウェールズのバンゴアで行われたマハリシのセミナーに、短期間ではあったがビートルズが参加
   した事は大事件であった ビートルズという捕まえた獲物が想像以上に巨大なものである事は、マハリシ本人が一番理解していた
   元々、シタール奏者のラビ・シャンカールと同じく、ビートルズの事はあまり知らなかったマハリシであったが、彼はすぐさま
   ビートルズのアルバムをかき集めて、猛勉強するようになった それ以来、マハリシは自分が講義する際の言葉の中に
   ビートルズの歌詞を引用するようになり、それをビートルズの側も光栄に感じていた しかし、マハリシの教える瞑想を真剣に
   やりたいと考えるのであれば、収入の一部をスイス銀行の口座に振り込むようにと、お布施を要求して来たのには困ってしまった
   断るにも断れないでいたのであるが、これをマハリシは、ハッキリとした拒否ではない、むしろ好意的に思われていると
   勝手に自分にいい解釈をした また、ビートルズは自分の信者であると完全に思い込んだマハリシは、アメリカのテレビ局に対し
   ビートルズ4人揃っての番組出演を確約してしまう もちろんこれは、マハリシと彼のセミナーに関するドキュメンタリーであり
   ビートルズにはまったくメリットのない内容だったため、実現はしていない「彼の思想は現代人には理解できない部分があるんだ
   現代社会の事情が理解できていないだけで、悪意を持った人物じゃないよ」とジョージはマハリシを擁護している

102 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 18:50:40 ID:???0
ポールと
   婚約者のジェーン、そしてリンゴ夫婦は実際のところ、マハリシに大きな疑問は抱いていたが、とりあえずそういった不安は棚上げ
   にして、先発隊のジョン夫妻・ジョージ夫妻に続いて、1968年2月19日にインドに向かった 飛行機で到着したニューデリーから
   荒れ果てた道なき道を長時間車で走り続け、目的の瞑想道場へたどり着いた時、全員がほっとすると同時に、新たな不安を抱いた
   そこに並ぶのは、イメージしていた泥を固めて作った小屋ではなく、アメリカ式の設備を備えた山荘風の宿舎で、壁もきれいに
   塗られ、エアコンも完備されているばかりでなく、郵便局、ランドリー、そしてレストランまでもがあった リンゴは叫んだ
   「なんだこれは、金持ちのホリデーキャンプじゃないか!」
    〜 The Beatles / Helter Skelter
    〜 The Beatles / Come Together (Anthology 3)
     (小林)あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってたんでしょうか、ジョンは?

103 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:06:32 ID:???0
  ・1968年2月 ── インドのリシュケシュにある、マハリシの瞑想同情に到着したビートルズの4人、妻や恋人たちは、そのあまりに
   現代的な設備に驚いてしまった 本来、高い精神世界にたどり着くためである修行が、あまりにシステマチックにプログラムされて
   いたのである リンゴと妻のモリーンは、ただ単に楽しい休暇を過ごしただけで、真っ先にロンドンに帰ってしまった 涅槃を
   求めて参加した総勢60名の中には、かなりの有名人もいた ハリウッド女優のミア・ファーロー、イギリスのボブ・ディランとして
   人気急上昇中のドノヴァン そして、この修行旅行の後も熱心な信者であり続けた、ビーチ・ボーイズのボーカル、マイク・ラブ
   そして、同じビーチ・ボーイズのドラマー、デニス・ウィルソン デニスは前の年に、パリでジョージからマハリシを紹介されて以来
   ずっと興味を持ち続けていた一人である 有名無名に関わらず、参加者は全員暑さをしのげる格好で野外集会場に集まり、講習を
   受けた いろいろな実演も行われ、真偽のほどは怪しいものの、マハリシは弟子の一人を仮死状態に引き入れてみせた さらに彼は
   空中浮遊 ── つまり座ったままで空中に浮くという修行の話もしたが、実際にビートルズが宙に浮くマハリシを目にする事は
   なかった 次第に説教の時間は短くなり、それぞれの瞑想に費やす時間が長くなっていった 後にジョージは、最長36時間の
   トランス状態を経験したと豪語している こうした、つかの間とは言え、のどかな静けさがずっと得られずにいた、心の平穏を
   よみがえらせた 創造性を妨げる日常の気ぜわしさは、すべて地球の反対側にあるように見えた くつろぎ、満ち足りた時間の中で
   世界のロックシーンの代表的なアーチストたちは、新しい曲を次から次と生み出していったのである
    〜 Donovan / Sunshine Superman

104 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:23:33 ID:???0
□リクエスト
  ・克也さんのファンキーなしゃべりが好きで、毎週聞いています(春日部市/男性)
    〜 Chaka khan / Through The Fire
     (小林)ありがとうございます

  ・「All You Need is Love」を聞いてびっくりしました CMでよく聞くこの曲も、ビートルズの曲だったんですね
   リクエストは「イエスタデー」をお願いします この曲は中学一年の時、一つ上の先輩が合唱コンクールで歌っていて
   後になって、ビートルズの曲だと知りました(千葉市花見川区/性別不明)
    〜 The Beatles / Yesterday
     (小林)ビートルズが後になって分かって来て、ビートルズの偉さがだんだん分かってくるって感じですかね?

  ・昔、アメリカのフランク・シナトラという歌手が人気ありましたね 彼は日本へもコンサートのために見えた事があります
   一流の歌手であっただけでなく、ビートルズのジョージの歌である「サムシング」を褒めていましたよ シナトラは
   ビートルズとともに尊敬できる歌手の一人です 彼の歌を聴くと、勇気がわいてきます(柏市/男性/50代)
    〜 Frank Sinatra/ My Way
     (小林)その時代を代表するような歌があり ── 60年代はビートルズですかね、50年代の後半はプレスリーですかね
        そして、その前はフランク・シナトラ なんか時代で価値観が全然違うんですよね こういう価値観も今聞く
        と、いいものだと思います 若い人達はどう感じているのか ── 若い人に聞いた事があるんですよ 10人の
        内、半分以上はカッコいいといってましたね

105 :ポール・キロックトニー:2008/08/24(日) 19:30:27 ID:???0
         ── 先ほど、若い人の半分がシナトラのことを褒めてると言いましたが、ロック界の人間も結構褒めてるんですよ
        U2のボノが、グラミー賞で「生き方に影響された」とシナトラを泣かせたり、あとセックス・ピストルズの
        シドがちゃかした感じですけど「マイ・ウェイ」をカバーしたり、もともとフランスの歌なんですよね
        で、この曲を見つけたポール・アンカって知ってますか? 「ダイアナ」の、ポール・アンカがシナトラのために
        「この曲は良いから」ということで、シナトラのために英語の詞をつけるんです それでシナトラにプレゼントする
        んですけど、彼は六ヶ月間何もしてくれなかった 六ヶ月経って「おい、あの歌やるよ」ってでやってくれて
        感激したと

(小林)ビートルズがインドに行った話、あの頃は結構面白い話がいっぱいあるんですよ リンゴも「蚊が多いし、食べるものも俺に
   合わないから」とさっと帰ったのも面白いけど、最後にジョンは帰るときに大変な目に遭うんですよ

106 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:15:59 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年8月31日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(8月31日)
  ・1969年 (39年前)
    1969年はウッドストックの年です。そして、周りはヒッピーだらけ! ヒッピーじゃない若者も髪長いです。
    そして、ビートルズの人間は皆、髪長いです。あごひげを生やしたりしています。1969年のきょう、39年前
    ジョージ、リンゴ、ジョン、ジョージのカミさんパティ、リンゴのカミさんのモーリーン、オノ・ヨーコが
    ワイト島のフェスティバルってのがあったんですが、すごく人が集まったときなんですが、このワイト島の
    フェスティバルに、ボブ・ディランを見に行ってます。ポールはいません。この番組を聞いてる方は、ディランと
    ビートルズが会った時に、ディランがいけないものを教えたと、そしてディランは、ビートルズのヒット曲の
    「I can't hide(この気分は隠す事出来ないよ)」ってのが「I get high(いい気持ちになる)」と誤解していて
    やるなあと言った事は紹介しましたが、1962年2度目のアメリカツアーの時は、ホテルで会って夜通し語り合ったり
    ただね、ジョンは最初会った時、ディランの事を面白く思ってなかったらしいんだよね。あのフォーク野郎みたいな
    感じで。でも、ディランの音楽を秘かに聴くようになって、影響を受けるようになったと。で、ビートルズの中で
    ディランを見た方がいいよ、会いに行こうよと言ったのはジョージです。ジョージとディランは仲良くなりますね
    80年代に入ると、他のメンバーも入れて、トラベリング・ウィルベリーズを結成したりすりょうになるわけですが
    それでは、1969年ワイト島のフェスティバルでのライブ録音ということになります
    〜 Bob Dylan / Like a Rolling Stone

    レコードとまったく違うように聞こえたと思うけど、ま、バックにザ・バンドがいるという事もあるとおもうけど
    まったく違う解釈で歌ってるよね

107 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:31:26 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年の冬から春にかけて、ビートルズはインドに修行旅行に出かけた。ジョージと妻パティの強力な勧誘により
   超越瞑想の教祖であるマハリシ・マヘシュ・ヨギの教えを請う事が目的であった。彼らは、インド・ニューデリー空港に
   降り立ち、そこからリシュケシュまでの220kmあまりをジープに揺られながら走り抜き、やっとの思いで、マハリシの
   瞑想道場に到着した。しかし、ビートルズと彼らの妻や恋人たちは、そのあまりに現代的な設備に驚いてしまった。
   彼らは、ロバの背に揺られ、カンジス川の急な谷間に着いた。そこで、ロバを降り、近代的な吊り橋を渡ると、マハリシの
   瞑想アカデミーのゲートが現れた。本来ならば、ヒンズー教の伝統に則った、小枝や葉っぱを組んだ掘建て小屋があっても
   おかしくない雰囲気である。ところがその代わりにここは、一泊350ドル(数十万円)という超高級なリゾートホテルがあった
   ビートルズ御一行は、四本の柱と天涯付きのベッドが置かれ、給湯設備とエアコンが完備された部屋に入った。リンゴは
   語っている。「あれは、イギリスでも上流階級だけが利用するホリデーキャンプみたいだった。」本来、高い精神世界に
   到達する修行が、あまりにシステマチックにプログラムされていたのである。ビートルズの四人は、直感的に何かを悟った。
   これは、俺たちが求めていた、気高い精神世界とは違うんじゃないか。リンゴと妻のモーリーンは、すぐに頭を切り替えて
   「楽しい休暇」を過ごす事にしたが、リンゴはあまりの食文化の違いに驚いてしまった。リンゴの大好きな卵とポテトの
   フライが全く用意されていなかったのである。これにはガマンできず、たった10日間で修行を切り上げ、ロンドンに帰って
   きたリンゴは、雑誌メロディメーカーの取材で語っている。「あれはね、大して厳しい修行じゃなかったね。いい骨休めに
   なったんだよ。」
    〜 The Beatles / What Goes On
     (小林)すぐわかったと思いますが、リードボーカルをリンゴがとっています

108 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 18:47:11 ID:???0
  ・1968年2月 ── ビートルズが参加したマハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーでの修行は、イメージとはかけ離れた
   ものであった。あまりに、金がかかりすぎていたのである。霊的生活を熱心に求める、普通の巡礼者たちは、まだ真っ暗い
   午前三時にドアを乱暴にたたく音で起こされる。聖なる川ガンジスで、冷たい水を頭からかぶって、顔を洗った後、香を焚いた
   ほの暗いホールに集まり、夜明けまで二・三時間の瞑想をする。それが済むと、寺院の下に横並びに掘った穴にそれぞれが
   入って、昼食の時間まで個人個人で瞑想を行う。午後は打って変わって、蒸気の立ちこめる暑い洗濯場や公衆便所での厳しく
   辛い肉体労働が待っている。しかし、ビートルズのような金持ちの外国人には、道場での過酷な肉体労働を免れる楽なコース
   が用意されており、こうしたいわゆる金づるのためには、伝統的な食事にもかなり手がくわえられていた。しかし、それで
   もリンゴの口には合わず、妻のモーリーンは蚊に刺されるのに耐えられず、先に帰ってしまった。リンゴは、雑誌の取材に
   答えて語った。「毎朝、かなり早く起きたね。でも、とてつもなく早い時間というわけでもなかった。まず、食堂に降りて
   いって、朝食をとる。それからちょっと、散歩でもしてから、瞑想か水浴びをする。講義みたいなものはひっきりなしに
   あったね。でも、それもなんだか、だらだらした感じで、バケーションみたいなものだった。とにかく、あの瞑想センター
   は、信じられないぐらい贅沢に出来てるんだよ。」もともと、この瞑想センターの常連客には、先祖代々の遺産を受け継いだ
   富裕層や生命保険をがっぽり受け取った未亡人、離婚で使えきれないぐらい多額の慰謝料をもらった女性など、とにかく
   大金持ちが多かった。さらに、このアカデミーにはヨーロッパの白人が70人以上参加していたが、その大半はスウェーデン
   の金持ち老婦人だった。これには、マハリシがスウェーデンの南部の街マルネにもセンターを開いて進出していたという
   背景があった。超越瞑想の教祖は、抜け目のないビジネスマンだったのである。
    〜 The Beatles / Revolution 1
    〜 The Beatles / Lady Madonna (Love)

109 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:02:48 ID:???0
  ・1968年2月 ── ビートルズが参加した、インド・リシュケシュにある、マハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーには
   ヨーロッパの富裕層の老婦人が数多く参加していた。その背景にある、マハリシのスウェーデン進出作戦を見ても、彼の
   ビジネスの腕には目を見張るものがあった。さらに、カリフォルニアからやって来た若くて美しい女の子に混ざって
   ロックスターも数人いた。ドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラブ、デニス・ウィルソン。そして、フランク・シナトラ
   との短い結婚生活に終止符を打ったばかりのハリウッド女優ミア・ファーローもいた。そして、全員がインドの民族衣装を
   着ていた。サリーとゆったりしたパンツ、ぴったりしたクルタという長袖のシャツに、サンダル履きでビーズや鈴をいっぱい
   ぶら下げ、歩くたびにじゃらじゃらと音をたてた。明るい太陽のもと、小柄な黒い髪の尊師マハリシと金髪の女優ミア・
   ファーローを中心として、ロック界の有名人とその妻や恋人たちが勢揃いした記念写真がビートルズのファン雑誌に掲載された
   のである。こうした、どこかちぐはぐとした瞑想アカデミーを、実はジョンは、大いに気に入っていた。彼が欲しいもの
   すべてが満たされていたのである。プライバシーが守られ、暖かく包んでくれて、彼に要求されるものは何もなく、精神を
   十分に遊ばせるのに、ふさわしい環境に思えた。ジョンは、妻のシンシアとは部屋を別にしたいと希望し、石造りのバンガロー
   に滞在した。そこの古い絨毯を敷き詰めた部屋に、一日何時間も座り、瞑想するのではなく、ジョンは作曲をしていてのである
   ジョンは語っている。「僕の頭の中では、音楽がぶんぶん鳴り続けていた。だから、次々に曲のアイデアが浮かんで来たね。
   創造のためには素晴らしい環境だった。今まで経験した事のない、まさに曲がわき出すって感覚を実感したんだ。」
    〜 The Beach Boys / Good Vibrations
     (小林)というわけで、インドにはビーチ・ボーイズの二人も着ていましたが、これは着ていなかったブライアン・ウィルソン
        の「グッド・バイブレーション」でした。

110 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:05:20 ID:???0
□公開録音のお知らせ
 9/24(水) 夜7時スタート
 場所:舞浜クラブ・イクスピアリ
 ゲスト:中村あゆみ、中島卓偉
 75組150名様をご招待、応募はbayfmサイト参照

111 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:25:07 ID:???0
□リクエスト
  ・最近、クラプトンのビートルズ参加が話題になっています。きょうは、ポールがビートルズ以外のミュージシャンのアルバムで
   ベースを弾いてるという曲をかけてください。ポールにベースを弾いてもらえるなんて、とても贅沢ですよね。ポールの声は
   聞こえないんですが、ベースがまるで歌ってるように聞こえます。ビートルズ風でいい曲です。(市川市/男性)
    〜 Elvis Costello / Veronica
     (小林)これはどちらかというと、脂ののっていたコステロに、ポールの方からお頼みしたと言った方が良いかも良いかも
        しれませんね。 ── このベロニカってのは、高級な「ある種の」商売をする女性の事なんだろうね。彼女の写真
        を持って、戦場に出かけた若者もいたなんてくだりもあるし。

  ・先日子供たちに会いました。久しぶりだったので、小学2年の息子は背が伸びていて、中学2年の娘は都の吹奏楽コンクールで
   金賞を取ったそうで、二人とも会えなかった時間を埋めるように話をしてくれました。普通に生活していても、父親と距離を置く
   娘がいる中、今でも「パパ」と呼んでもらえる自分が幸せ者です。最近、自分の影響で娘がハマっているこの曲をお願いします
   (西多摩郡/男性)
    〜 Led Zeppelin / Whole Lotta Love
     (小林)お父さんの影響で、ツェッペリン行ってるんですね。

  ・半年ぐらい前に、僕がリクエストした吉田拓郎の「ビートルズが教えてくれた」をかけてくれてありがとうございました
   拓郎ファンの僕に取って、これ以上の喜びはありませんでした。今は亡き、安井かずみさん作詞の二十歳の頃の無邪気な自分は
   いないという隠れた名曲だと思うのでぜひお願いします。(柏市/男性)
    〜 吉田拓郎 / レノン症候群(シンドローム)

112 :ポール・キロックトニー:2008/08/31(日) 19:26:32 ID:???0
(小林)さあ、ビートルズはインドに滞在しています。この話の続きはまた、待っててください。

113 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:11:48 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月7日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月7日)
  ・1963年 (45年前)
    世界的にはまだ知られてませんが、イギリスでは強力なグループにのし上がって来ています。で、きょうはですね
    ロンドンのプレイハウスシアターというところで、午後1時から4時までの3時間をかけて、特別番組の録音が行われたと。
    イギリスのBBCと言ったら、音楽番組はいっぱいあるわけですが、出るのはビートルズ一つじゃないわけですよ。
    ところが、ビートルズはイギリスでスゴい人気になっていて、ファンの間から「ビートルズの人気を増やせ!」ということ
    で、だんだんBBCのショーもビートルズの特番みたいなものが増えて、このプレイハウスシアターでは、ビートルズの一人
    芝居みたいな感じです。この頃面白いのはね、だいたいアメリカでもイギリスでもテレビに出ると口パクだったわけです。
    だから、口パクだとつまらなかったんだけど、実は、ビートルズは口パクじゃなかったんです。だから、海賊版を集める
    人達にとっては、「これはすごい」ということだったんだけど、1994年になって、BBCのライブ2枚組のCDが発売されて
    います。
    〜 The Beatles / Lucille


114 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:25:53 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年2月 ── ビートルズはインドに渡った。目的は、超越瞑想の教祖マハリシ・マヘシュ・ヨギも道場で行われるセミナー
   つまり、修行に参加するため。しかし、遠い道のりを経てたどり着いた修行場所は、イメージとはまったくかけ離れたものだった。
   天蓋付きキングサイズのベッドや、高額の参加費を払っている信者に対するVIP待遇は、まるでヨーロッパの各地で見られる
   ホリデーキャンプそのものであった。もちろん、ビートルズも特別扱いされていた。このセミナーをビートルズに気に入って
   もらうことこそが、最大のビジネスチャンス ── と、尊師マハリシ・マヘシュ・ヨギは考えていたのである。このあまりに
   馬鹿馬鹿しい修行にリンゴの妻のモーリーンは、わずか10日間で別れを告げた。さっさと、ロンドンに帰ってしまった。
   しかし、ジョンは違った。修行に意味があるかどうかなんて、どうでもいい。とにかく、インドでのジョンは、作曲の意欲に
   あふれていた。彼の創造性はピークを迎えていたのである。前の年、アルバム「マジカル〜」に収録された曲「〜ウォルラス」
   で、ジョンはソングライターとしての新境地を切り開いていた。もともと、ポールと「レノン・マッカートニー」として
   どんな時でも一緒に曲を作るというスタイルではじめたジョンであった。そしてそれはむしろ「共作」というより、自分の
   苦手な部分、知識やテクニックの至らない部分を、ポールに補ってもらうという、いわば他力本願的なもの。しかし
   今は違っていた。シングル「ペニー・レイン」そして、「ストロベリー〜」で、ポールとしのぎを削って以来、ジョンには
   作曲家としての自我が本格的に芽生え始めていた。もう、ポールの手助けなんて必要ない。一人で曲を完成させることに
   意欲を見せていたのである。その意欲の炎は、ずっと燃え続けており、ここインドにいても、おさまるどころか
   ますます大きなものとなっていたのだ。
    〜 The Beatles / I am the Walrus
    〜 The Beatles / Paperback Writer

115 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:41:05 ID:???0
  ・1968年2月からのインドへの修行旅行での間、ジョンの曲作りに対してのバイオリズムは最高のポイントに達していた。
   ジョンは語る。「頭の中で常に、メロディーと言葉が鳴り響いていたんだ。だから、無理してひねり出すことはない。
   その中から必要に応じて、ピックアップしてつないでみたり、並び替えたりすればいいんだ。まさに、次から次へとわき出す
   っていう感覚だったね。」ところが皮肉なことではあるが、この一種の霊的環境の中で出来た歌のほとんどは、ジョンが
   インドへ訪れる前のノイローゼ状態を反映した内容であった。1966年8月にツアーをやめた後に陥った自信喪失。アルバム
   制作において、すべてを取り仕切り、バンドを切り盛りするポールに対するコンプレックスや嫉妬。そして一説には
   ホモセクシュアルな関係にあったとされるマネージャーのブライアン・エプスタインの突然の事故死など。この頃の
   ジョンは常に大きな問題を抱えていた。「I am so Tired」この曲は夜ごといけない体験によって引き起こされた不眠症による
   疲れを歌ったものであるし、「Yer Blues」は自殺しかねないほどの鬱状態がテーマであった。そして、「Happiness is
   a Warm Gun」の中では、やはりいけない薬を求めて歌う一節が繰り返し登場する。この曲は二つの主題を示唆していると
   されているが、一つは平和主義者ジョン・レノンとしての銃社会アメリカへの批判、もう一つはオノ・ヨーコへの性的な
   情熱であった。この頃ジョンは、学生時代からの付き合いであるシンシアには、まったく愛情を感じていなかった。インド
   でも、部屋は別々。もちろん、ジョンの希望でそうなった。そしてジョンは、インドからロンドンにいるヨーコに向けて
   何十通もの手紙を書いている。二人は恋愛関係・不倫関係のまっただ中にいたのである。「Happiness is a Warm Gun」の
   「Gun」を男性のシンボルと置き換える解釈もあり、実際性的で猥雑な曲であるという理由で、アメリカのラジオ局では
   放送禁止に指定された。ラジオ局のアルバムには、警告ステッカーが貼られることになってしまったのである。

116 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:42:01 ID:???0
    〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun
    〜 The Beatles / Octopus's Garden
     (小林)直訳すると「幸せは生あったかいガン」。タイトルからして問題作ですけど、そんなに頭の想像力の中で
        動き回る曲ですからね。しょうがないですね、ビートルズも。その後は、リンゴの歌ったたわいもない曲ですが
        Warm Gunの後でかかると、なんか意味があるんじゃないかと思えてきます。

117 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:56:11 ID:???0
  ・1968年春、ビートルズがマハリシ・マヘシュ・ヨギの瞑想アカデミーに参加している間、ずっとイギリスのマスコミは
   取材して記事を書き、ロンドンに送り続けた。雑誌や全国紙にも、ビートルズの情報は掲載された。もう何年も前から
   ビートルズ人気だけで食っているような、音楽専門紙の記者はおおむね善意を持って、ビートルズの味方として記事を
   書いていたが、これが一般紙となるとそうはいかなかった。彼らの場合、ビートルズの機嫌を取る必要は全くない。
   いつの時代もそうであるが、話題になり、発行部数が増えればいいのである。ついにイギリスの一般紙や日本で言う
   スポーツ紙に当たるタブロイド新聞は、リシュケシュのセミナーで行われている瞑想セミナーは、すべて嘘っぱちである
   とこけおろし、マハリシを詐欺師とまで決めつけた。この時点で、マハリシを師と仰ぐビートルズは弁護する姿勢を見せた。
   代表して、ジョンはこう言った。「イエス・キリストだって、救世主と言われる前に張り付けになりました。みなさん
   マハリシに対しても、同じことをするつもりですか?」しかし、ビートルズも実際のところ、このマハリシがかなりの
   やり手であるということに、気づき始めていた。ビートルズがインドに向かう前から、マハリシは4人と一緒に、アメリカの
   ABCテレビに出演するという企画をはじめていた。ビートルズの出演をマネージメントに断りもせず、勝手に約束していた
   のである。もちろん、マネージメントスタッフであるピーター・ブラウンは、マハリシのあまりの無謀ぶりに対し
   抗議と忠告を促した。しかし、効き目はゼロ。困り果てたポールとジョージは、スウェーデンのマルベにいるマハリシを
   訪問し、番組出演を丁重にお断りした。しかし、この時もマハリシはまったくいつもの笑顔を絶やさず、もしろポールと
   ジョージをなだめる側に廻った。そして、取材陣に答えてこう言った。「彼らは素晴らしい若者ですよ。おかげで私は
   とても幸せです。」

118 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 18:57:00 ID:???0
    〜 The Beatles / I'm so Tired
    〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (Love)
     (小林)オリジナルはエリック・クラプトンのギターが入ったギンギンしたものですが、こっちの方がおとなしいだけに
        こっちが本音じゃないかと思えます。クラプトンが入った方は、力みが感じられますよね。そしてその前は
        僕の個人的な体験ですけど、デュラン・デュランのメンバーの二人ぐらいは、ジョン・テイラーたちですけど
        「この曲がビートルズの中で一番好きだ」と言ってましたね。

119 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 19:19:38 ID:???0
□リクエスト
  ・この番組を拝聴してると想像力をかき立てられ、時に映像として垣間見ているようです。リクエストは、ビートルズや
   ストーンズの影響で隠れてしまった ── 克也さん、たぶんゾンビーズもジェラシーを感じていたんでしょうね(土浦市/男性)
    〜 The Zombies / Time of the Season
     (小林)ジェラシーを感じていたとしても、相手がビートルズじゃしょうがないよね

  ・TVドラマのエンディングに流れて、とても気に入った曲です。つい先日のフジロックで、彼らが雨の中のライブをやった
   そうです(茨城県新治郡千代田町/男性)
    〜 Travis / Why Does it Always Rain on Me?
     (小林)どうして、俺たちのときにいつも雨が降るんだよっていう曲ですからね。
        ※新治郡千代田町は、現在「かすみがうら市」になっている

  ・克也さんのファンキーなしゃべりが好きで、毎週欠かさず聞いています。(春日部市/男性)
    〜 中村あゆみ / 翼の折れたエンジェル<2008 VERSION>
     (小林)昔に比べて歌い方変わってるねー。何年前だっけ、結構年食ってるはずですよね?
        スペシャルパーティーで、彼女着ますから。ああ、聞きづらいかなー?

120 :ポール・キロックトニー:2008/09/07(日) 19:23:23 ID:???0
(小林)ビートルズの連中は、ポールは遅れて入るんですが、インドにいます。で、インドでエライ先生がろくなもんじゃなかった
   ってわけで、ジョンをはじめ、これはいい環境で歌が書きまくれるってわけで、ビートルズはホワイトアルバムに入る大半
   の曲を書くわけです。この経済効果でね、インド旅行でビートルズは損をしたと思われてるけど、何十億円の価値があったって
   計算している人もいますね。

121 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:55:28 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月14日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月14日)
  ・1964年 (44年前)
    ビートルズのマネージャー、ブライアンがアルバムを出すということが発表されました。何のアルバムか?というと
    彼の朗読アルバム。もちろん音楽も交えますが、その内容というのは、彼がビートルズの成功物語を本にした「地下室
    いっぱいの雑音(A Cellarful of Noise)」。これを読む、朗読のアルバムですね。それを出すということを発表しま
    した。どういうことが内容かというと、ビートルズとどうやって出会って、契約して、契約書には自分はサインをいれ
    なかった。ビートルズとして、自分がマネージャーとして嫌いだったらいつでも別れることが出来るようにしていた
    とかね。それから、ビートルズは最初は革ジャンでリーゼントの、正義感のないようなグループっていうんですかね
    いわゆるロッカー、ロック野郎だったんだけど、それをもっとオシャレに、センスアップしたのが自分であるとかだ
    とか。彼が自分の本を読んで内容を紹介するレコード。実は、この年の10月13日に、ビートルズがいつもアビーロード
    のスタジオでアルバム一枚分を録音しました。結局これは、出なかったんですね。ちなみに、彼が出した本の方は
    絶版になっていますけど、洋書の中古市場では八千円以上のプレミアがついて売られているということです。さあ
    これから貴重な音が流れますよ。よかったら録音すると良いんだよね。ブライアンの貴重な朗読からね、ビートルズ
    が、デッカレコードと契約の話をする、でもし良かったらってことで、お正月に演奏する、これはもう歴史的に有名
    な、それでも採用しなかったっていう、これはもう業界として最大の失敗だったわけですが、そのデッカのレコーディング
    までの内容を自分でしゃべっています。
    〜 Brian Epstein / I secured them ... a Beatle drink even then
    〜 The Beatles / Searchin'

122 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:56:01 ID:???0
    ポールのボーカル力はすごいですよね。自分のスタイルが出来てなかったのかな。これは、アンソロジー1に入ってる
    わけですが、ブライアンがデッカ・レコーディングのことについて言ってますね。リヴァプールから、自分も貧乏
    だとか、ビートルズはもっと貧乏で、ベッド&ブレックファスト=安宿に、20何シリングって言ってたね、出して
    泊まって、今それをやるわけですけどね。これは、デッカのデモレコーディングからですね。

□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・1968年2月からの、ビートルズのインドへの修行旅行。これは言うまでもなく、ジョージと妻パティの強力な啓蒙と勧誘
   によるものだった。では、なぜジョージは、ここまでインドとインドの音楽に興味を持つようになったのか。その経緯を
   辿ってみることにしよう。時計の針を10年以上も昔に戻します。元々ポールの通うリヴァプール・イースティチュートの
   一つ後輩だったジョージは、ロックンロール、そしてギターに夢中になっていました。Aクラスの学級委員を務める優等生
   のポールと、Cクラスの問題児であるジョージが仲の良い友人同士であると知った先生は驚いた。それだけ、ポールと
   ジョージは対照的な生徒だったのである。二人を結びつけていたのは、もちろんロックとギター。最初はポールがギター
   を背負って、自転車でジョージの家に行った。その頃ポールから見ても、ジョージのギターの腕は確かなものであった。
   その後二人は、どちらかの家に集まって、一緒に練習するようになり、同時に学校をさぼることも多くなっていった。
   ある年の夏休み、思い立って南海岸へ三週間のヒッチハイク旅行に出かけた時でも、ジョージとポールはギターを抱えて
   いた。たいていの場合は、ポールはジョージの伴奏に合わせて歌った。ロカビリーから、歌の入らないインストルメンタル
   ナンバー。そして、カントリーに至るまで、ジョージの探究心はまさにどん欲だった。カール・パーキンス、エバリー
   ブラザーズ、そして、バディ・ホリー。ジョージとポールはラジオから流れてくる、ありとあらゆるヒット曲をむさぼる
   ように聞いた。

123 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:56:04 ID:???0
   そして二人で、ああでもないこうでもないと、ギターを弾きながらコピーにいそしんだ。そして、1957年
   7月に、ポールがジョン率いる「クォリーメン」に加入した。しかし、しばらくの間ジョージは、ジョンのバンドの取り巻き
   親衛隊だったのである。
    〜 The Beatles / One after 909
    〜 George Harrison / All Those Years Ago

124 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:59:00 ID:???0
  ・落ちこぼれの吹きだまりとして有名だった、クォリーマン・ハイスクールの仲間を集めて、ジョンが結成したバンド
   クォリーメンにポールが加わった。しかし、ポールの仲間で、ジョンの三歳年下であるジョージは、まだ子供扱い。
   バンドに入れてもらえなかった。女の子とのつき合い方も分かっていない14歳の少年は、ただ兄貴たちのバンド演奏を
   追っかけ、不良っぽくて格好良く見えたジョンの後をちょろちょろくっついて廻るしかなかった。ジョンは既にこの頃
   後に出来ちゃった結婚をするシンシアと恋人同士であったが、まだ子供だったジョージは、そのことが良くわからず
   ジョンとシンシアが行くところなら、どこでも着いて行った。自分が邪魔であることすら、分からなかったのである。
   これに困り果てたジョンは、ある日ジョージを振り切ろうと、わざとホラー映画が上映されている映画館に入った。
   案の定、ジョージは恐れをなして、家に帰ってしまった。こんな幼いジョージだったが、ギターに関しての情熱だけは
   誰にも負けなかった。そしてついに、ジョンは折れた。次のライブに間に合わせるために、メンバーの補充が必要だった
   のである。親分であることを誇示したかのように、ジョンはバンド仲間を集めて、オーディションを行うことにした。
   場所は、リヴァプールの街を走るバスの二階席。ジョージは難しいインストルメンタルを完璧に弾いてみせた。ジョン
   も、これには感心した。しかし、親分としての体裁は保ったまま、「よーし、ジョージ。これでお前も、俺たちクォリーメン
   のメンバーだ。だけど、もっともっと練習してウマくなれよ。ちょっとでもさぼると、クビだからな。」ジョージは
   天にも昇る嬉しさだった。こうしてジョージは、次第に大人として認められるようになった。1959年にクォリーメン
   が解散し、シルバー・ビートルズ、そしてビートルズへと発展して行く中、ジョージはギタリストとして頑張り続けた。
   リヴァプールやイギリス国内にとどまらず、ビートルズはドーバー海峡を渡って、ドイツのハンブルグへも長期のツアー
   に出かけた。連日連夜8回以上のステージで、演奏力も客のあしらい方も、ずいぶん鍛えられた。

125 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 18:59:02 ID:???0
   しかし、ジョージがどんなに頑張っても、常にそれを上回るのが、ポールの才能だった。
    〜 The Beatles / Long Tall Sally
    〜 Geoge Harrison / Dark Horse

126 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 19:16:10 ID:???0
  ・1950年代のアマチュア時代から60年代初め、ビートルズの初期、ジョージの演奏は確かに評価されていた。もちろん
   ジャズやブルースのギタリストのようにずば抜けたテクニックを見せるわけではないが、ポップなセンスにあふれていた。
   そしてビートルズには、人を引きつけてやまない何かがあった。1962年の元日、マネージャー・ブライアンの頑張りで
   ついに大手のレコード会社デッカのオーディションを受けることになった。リヴァプールから南に向けて、積載重量
   オーバーのビートルズのバンは走り続けた。荷物を少しでも多く載せるために、ジョージは膝の上にアンプを乗せていた。
   運転手は、この時のドラマー、ピート・ベストの家の下宿人で、会計士をやっていたニール・アスピナル。後に、
   ビートルズの会社アップルの重役になる男である。途中、雪が降り始め、寒さと不安で次第に笑いがなくなっていった。
   安宿に泊まり、粗末な朝食をとって、彼らはデッカレコードに乗り込んだ。この日ビートルズが演奏したのは15曲。
   オリジナルは3曲だけで、残る12曲はいつもライブで演奏しているカバー曲である。普通であればお手の物であった
   演奏が、体調のせいか、ジョンとポールの演奏が今ひとつであった。結果、この日頑張ったのはジョージただ一人。
   オーディションに立ち会ったデッカレコードのディック・ロウとマイク・スミスによると、ジョージはビートルズの顔に
   なるべきメンバーであると見なされていた。それに他の三人に比べて、無邪気さの残っていたジョージは口数も多く
   積極的なキャラクターになる資質十分と印象を与えた。結果、この日のオーディションは不合格だったが、もし合格して
   いたとしたら、デッカレコードの方針で「ジョージ・ハリソン&ビートルズ」でデビューしていたという想像も飛躍しすぎ
   ではない。それほど、ジョージは評価されていたのである。
    〜 The Beatles / Take Good Care of My Baby
    〜 The Beatles / I'm a Loser

127 :ポール・キロックトニー:2008/09/14(日) 19:35:20 ID:???0
□リクエスト
  ・このところ60年代70年代に活躍していたグループの再結成が相次ぎました、去年のツェッペリンの再結成で一段落した
   ような感がありました。しかし今年になって、誰も思いもよらなかったグループが初来日しました。私が彼の音楽と出会った
   のは、深夜着けっ放しにしていたラジオから流れて来た曲。どこか無表情なコーラスをバックに、追いかけるようなけだるい
   ボーカル。そして、まとわりつくようなグルーブ。曲は熟睡していた私を叩き起こしました。このような形で、音楽の力を
   実感したのは、これが初めてでした。(横浜市/男性)
    〜 Sly & The Family Stone / Family Affair

  ・エリック・クラプトンの登場で、彼のことを思い出しました。最近クラプトンとアルバムを作りましたが、彼も年を重ねる
   毎に、味わい深いアーチストですね。(住所不詳/男性)
    〜 The Spencer Davis Group / Gimme Some Lovin'

  ・最近、レンタルショップでこの番組のリクエストコーナーの元ネタ「トゥルー・ロマンス」を借りてきました。暴力も
   エロスもあるのに、作品全体に物悲しさがあり、ラストはグッドエンド。スゴくいい映画でした。もちろんBGMの「You're
   So Cool」もピッタリでした。おもわぬ良作に出会いました。これもやっぱり、ビートルズから始まってるんでしょうね
   (つくば市/男性/つくば大学1年生)
    〜 The Beatles / Yes it is

(小林)どうしてビートルズはインドに行くことになったのか? というわけで、途中からジョージの話をしていますが
   それで、もっとビートルズの音楽的な深さが分かると思います。もし、ジョージがいなかったら、ビートルズのニュアンス
   は生まれなかったと思うけどね。

128 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:12:48 ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2008年9月21日(日)18:00〜19:00放送内容 DJ:小林克也

□ビートルズカレンダー(9月21日)
  ・1965年 (43年前)
    ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで、イギリス・アート・フェスティバルの一環として
    「ブライアン・エプスタイン ポピュラー音楽の夕べ」というコンサートが開かれます。どういうコンサート
    かというと、ビートルズじゃないんですよ。ムーディ・ブルースが入っていました、他のグループも入って
    いたんですけど。この頃、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインはNEMSの社長であります。
    彼がマネージするのは、ビートルズばかりじゃないわけです。彼にとって、人生最高の年になっています。
    まず、ビートルズの曲が軒並みナンバー1。映画「ヘルプ!」が絶賛上映中。で、ブライアンは、元々
    コンサートで儲けようとしてましたからね。フランスやイタリア、スペイン、それからアメリカ、大盛況です。
    そんな中、ビートルズばかりじゃなくて、ムーディ・ブルースという、かなりビッグになるグループも押さえ
    ていたということで。ムーディ・ブルースのリード・ボーカルが、デニー・レイン。分かりますか? ポール
    が解散してウイングスを作りますね? ウイングスの中心(が)、デニー・レイン。ギタリストであり、ボーカ
    リストです。ムーディ・ブルースってのは、後になってプログレで有名になるんですけど、この頃はリズム&
    ブルースバンドです。だから、デニー・レインがボーカルをとっていた曲は、ウイングスのアメリカのライブ盤
    にも入っていたおなじみの曲があるんですけど。
    〜 Moody Blues / Go Now!

129 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:28:40 ID:???0
□ポールの目から見たビートルズ史?
  ・60年代の初期、ビートルズがデビューするかしないかの頃のジョージは、ギタープレイヤーとしては、まずまず
   その腕を認められていた。ステージでは、何曲かのボーカルのレパートリーもあり、デッカレコードのオーディ
   ションの時は、審査員が4人のなかで最も光るものを感じたと語っているほどである。しかし時間が進むにつれ
   ビートルズは自分たちの本当のセールスポイントを見つけ始めていた。それは、誰にも書けない最高のオリジナル
   ソングで勝負することであった。もちろん、ソングライターはジョンとポール。後に、20世紀最高の作曲家チーム
   と称されることになる、レノン・マッカートニーである。こうなると、ジョージは完全に裏方に徹するしかなかった。
   見よう見まねで作曲はしてみたものの、やはり能力ではジョンとポールに大きく水をあけられていた。ビートルズの
   記念すべきデビューシングルは「Love Me Do」。主にポールが書いた曲で、歌はジョンとポールのツインボーカル。
   目立っているのは、ジョンのブルージーなハーモニカ。ビートルズを不合格にしたデッカレコードの社員は、ジョー
   ジを最も優れたメンバーと見なしたが、実際に契約することになり、デビューが決まったEMIパーロフォンのプロ
   デューサー、ジョージ・マーティンは、ポールが何事に置いても突出した才能を持っていることを見抜いていた。
   それでもあえてポールをメインにせず、4人が対等に平等に目立ち、それぞれのキャラクターを打ち出すという
   新しいスタイルで行くことを決めたのである。これが成功した。ボーカルとコーラス、そして、ビートとハーモ
   ニーが、まさに渾然一体となって吹き出してくる。これが登場した頃のビートルズの圧倒的な魅力であった。もち
   ろん、ジョージはバンドのリードギタリストであり、重要なコーラス要員であり、そしてアルバムの中やステージ
   では、何曲かリードボーカルをとる曲もあった。しかし、まだ自分が書いた曲は採用されない。どこか、モヤモヤ
   とするジョージであった。
    〜 The Beatles / Do You Want Know a Secret
    〜 The Beatles / Nowhere Man

130 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:44:18 ID:???0
  ・1963年3月に発売されたビートルズのデビューアルバム「Please Please Me」、このアルバムの中でジョージが
   リードボーカルをとる曲は「Do You Want Know a Secret」ただ一曲。もちろん、ビートルズは一人でボーカルを
   とる曲だけではなく、彼らが強い影響を受けたアメリカのエバリー・ブラザーズにならったツインボーカルや
   さらにそこに対旋律のようにコーラスが加わるといった、多彩なスタイルがおハコである。言い換えるなら、
   コーラスなくしてビートルズの楽曲は成り立たなかった。「あーあ、オリジナルオリジナルって、みんな口を揃えて
   言うけど、リバプールやハンブルグじゃ、ロックンロール、リズム&ブルース。客はみんな、そんなのを聞きたがって
   リクエストしてきた。俺たちもそれに答えた。楽しかったよなー。それじゃ、いけないって言うのかよ。つまんね。」
   この頃まだ、ジョージは子供だったし、アーチストとしての自我もエゴも確立されていなかった。そしてもちろん
   ビジネスも分かっていなかった。カバー曲の場合、曲の著作権はオリジナルの作曲家に入り、当然ビートルズの取り
   分は印税だけである。しかし、これがオリジナル曲となると、レコードがヒットした場合の収益は、何倍何十倍、
   いやそのヒット具合では、桁が全然違ってくる。さらに、それが他のシンガーにカバーされて大ヒットになったとしたら
   それは計算のしようがないものになる。この事を、レコード会社のプロデューサーである、ジョージ・マーティン
   マネージャーのブライアンはもちろんであるが、それ以上にポールがシビアに考えていた。お金という分野に関して
   ポールは既に大人であった。そして、周りに尻を叩かれながらも、ジョージはビートルズがデビューしてから、最初の
   曲を書いた。タイトルは「Don't Bother Me」。僕の事はほっといてくれという意味であるが、一節にはツアー中に
   ある友人から手紙をもらった事がきっかけとなって、この曲が出来たと言われている。その手紙は「ジョンもポール
   も曲を書くのに、なぜジョージ、君は書かないのかな」というもの。ジョージは、カチンときた。そして、その回答
   が曲のテーマになった。Don't Bother Me、うるさいな! 僕の事はほっといてくれ!!

131 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 18:46:12 ID:???0
    〜 The Beatles / Don't Bother Me
    〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever

   Strawberry Fields Foreverは67年ですが、この頃になると、ジョージの影響がビートルズの曲に現れますよね。

132 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:04:07 ID:???0
  ・ビートルズ二枚目のアルバム「With the Beatles」は、1963年11月に発売された。この中の三曲でジョージは、リード
   ボーカルをとっている。一曲は、リバプール時代からの得意なナンバー。チャック・ベリーのロックンロール、
   「Roll Over Beethoven」。ジョージは、ここでも素晴らしいギタープレイを見せている。二曲目はジョージが選曲した
   黒人女性ボーカルグループの曲「Devil in Her Heart」。ちょっと頼りなさはあるものの、ジョンとポールに支えられて
   マージービートらしい仕上がりとなっている。シブい曲を出してきたあたりにも、ジョージのこだわりが感じられる。
   そして三曲目は、ジョージの最初のオリジナル曲「Don't Bother Me」。さすがにリバプールやハンブルグで鍛えられた
   基礎体力がある。堂々たる、歌いっぷりを見せている。ここでジョージは、本来の自分を取り戻した。「そうだよ、
   昔から俺は歌っていたし、ポールと一緒に曲も書いていた事もある。なんだ俺、出来るじゃないか。さあ、もっと曲を
   書かなきゃ。ジョンやポールになんか、負けていられない。」元々ジョージは謙虚な青年であったし、努力を怠ること
   もなかった。ギターを弾かない日はなかったし、とにかく自分がミュージシャンでいられる事に喜びを感じていた。
   しかし、1963年のこの時点で、作曲の神様はまだジョージのその技をプレゼントしてはいなかった。それでも、何とか
   ジョージは、ジョンやポールに追いつこうと必死になって頑張った。しかし、ジョンとポール、そしてプロデューサー
   のジョージ・マーティンの検閲は厳しい。プロの仕事とはこういうものであると、思い知らされた。結局、ジョージの
   曲は、二枚目のアルバムに「Don't Bother Me」が収録されて以来、2年近くも採用される事がなかった。ジョージの
   才能はこのままどこかに、葬り去られるように見えていた。
    〜 George Harrison / Isn't it a Pity
    〜 The Beatles / In My Life

133 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:05:17 ID:???0
   いやー、ビートルズのスゴいミックスを聞いた気にならないですか?


134 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:18:08 ID:???0
□リクエスト
  ・私は、モンキーズが大好きでした。あまり、ラジオとかでは流れてこないので、この曲をよろしくお願いします。
   (江東区/女性)
    〜 The Monkees / Daydream Believer

  ・毎週、ソファーに座って聞いています。ラジオへのリクエストは、人生初なのでよろしくお願いします。
   (横浜市/男性/45歳)
    〜 The Beatles / We Can Work it Out
      (小林)人生初かー。大体、ラジオへのリクエストって、ティーンエイジャーの頃、出さない? だけど、初めて
        のリクエスト、めでたい事じゃないですか。

  ・シナトラが好きな50代の方のリクエストを紹介されていましたね。ジョージは、シナトラのレコーディングをパティを
   共らって見学した事があるんです。90年代に発売されたシナトラのワーナー時代のCDボックスに写真が掲載されて
   います。この時、吹き込まれた曲は「サムシング」ではないようですが、曲は不明です。後にジョージがワーナーに移籍
   して、レーベルを立ち上げるのも、シナトラに影響されたのかもしれません。(調布市/男性)
    〜 Frank Sinatra / Something
      (小林)というか、シナトラもワーナーのリプリーズの社長です。ジョージも、ダークホースの社長です。面白いのは
        シナトラのリプリーズというのは、社員が頑張って、ロックのレーベルとして、御大シナトラよりもはるかに
        売れる曲が入ってきて、リプリーズは違う発展をするんですよね。で、シナトラという人は自分で曲を書かない
        ですから、彼の運命というとおかしいですけど、曲選びにかかってるんですよね。

135 :ポール・キロックトニー:2008/09/21(日) 19:25:08 ID:???0
(小林)このところ、ジョージにスポットを当ててお送りしていますが、ジョージが亡くなった時ね、ジョージ・マーティンの
   インタビューを聞いたんですけど、ポールとジョンはすごい天才だった、その間にはさまれて、よくつぶれなかった
   それどころか、ポールやジョンに負けないような曲を書くようになった、すごい男だよって、最後には亡くなった後
   ジョージ・マーティンが褒めてるのが印象的でした。

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